1820年から1860年までの地域危機の主な段階
アメリカ史において、1820年から1860年にかけての約40年間は、奴隷制をめぐる南北対立が激化し、最終的に南北戦争へと至った「地域危機」の時代でした。以下に、この時期を特徴づける主要な出来事を時系列でまとめます。
1820年:ミズーリ妥協
ミズーリを奴隷州として、メインを自由州として連邦に加盟させました。同時に、ルイジアナ買収地における奴隷制許容地域と自由地域の境界線として北緯36度30分線が定められました。
1830年:インディアン移住法
連邦政府に先住民族部族との条約交渉の権限を与え、南東部の土地と西部の土地を交換する形での先住民移住を進める法律です。
1846年〜1848年:米墨戦争
この戦争の結果、アメリカはカリフォルニア、ネバダ、ユタ、およびアリゾナ、コロラド、ニューメキシコ、ワイオミングの一部といった広大な南西部領土を獲得しました。
1848年:グアダルーペ・イダルゴ条約
米墨戦争を正式に終結させた条約であり、リオグランデ川をアメリカとメキシコの国境として確定しました。
1850年:1850年妥協
カリフォルニアを自由州として連邦に加え、残りのメキシコ割譲地をニューメキシコ準州とユタ準州として組織しました。これらの準州では奴隷制に関する制限が設けられませんでした。
1854年:カンザス・ネブラスカ法
ミズーリ妥協を撤廃し、「人民主権」の原則のもと、カンザスとネブラスカの住民自身が奴隷制の可否を決定できるようにしました。
1854年〜1856年:血を流すカンザス(Bleeding Kansas)
奴隷制支持派と反対派が準州の支配権を巡って争い、カンザスで武力衝突が相次いだ激動の時期です。
1857年:ドレッド・スコット判決
最高裁判所の判決により、アフリカ系アメリカ人は合衆国の市民ではなく、連邦裁判所で訴訟を起こすことができないとされました。
1860年:エイブラハム・リンカーンの当選
奴隷制拡大に反対する綱領を掲げて当選したリンカーンの選出を受け、サウスカロライナ州が連邦からの脱退を宣言し、その後アメリカ連合国(南部連合)が形成されました。
南北戦争は避けられなかったのか?
私見では、南北戦争は避けられないものでした。両者の立場は奴隷制問題においてあまりにもかけ離れており、双方を満足させる妥協案は存在しなかったからです。南部は自らの生活様式と経済基盤を守ることに固執し、北部は奴隷制の拡大阻止と廃止への道を決意していました。対立した二つの陣営が、深まる溝を埋める手段として戦争以外の道を見出すことは、もはや不可能だったのです。