アメリカ北部諸州の中には、アフリカ系アメリカ人に対して比較的寛容な姿勢を持ち、公共施設の人種統合を目指す州レベルの法律を成立させた例もありました。しかしその一方で、北部においても重大な人種隔離(セグリゲーション)が存在していたことを忘れてはなりません。北部の隔離政策は、南部ほど明白な形ではなく、排除的なゾーニング規制、公正な住宅関連法の欠如、雇用や教育における差別といった形をとり、「事実上の隔離(de facto segregation)」として定着していったのです。
北部諸州の人種隔離に対する姿勢
1. 法的な枠組み
北部のほとんどの州では、南北戦争以前に奴隷制を公式に廃止していました。アフリカ系アメリカ人の権利と平等について広く認識が広がっていたため、人種隔離を明示的に義務付ける法律は存在しませんでした。
しかし、北部にも法的な課題がありました。たとえば一部の州では、当初から憲法でアフリカ系アメリカ人に参政権を認めていませんでした。法的な平等が確立されるまでには、憲法修正条項や法改正による長い道のりが必要だったのです。
2. 事実上の隔離(De Facto Segregation)
南部諸州ほど人種隔離法が蔓延してはいなかったものの、北部の都市部でも隔離は現実に存在していました。住宅面での人種分離は深刻で、人種制限的契約(特定の人種に土地の売買を禁じる協約)、人種別ゾーニング、そして金融機関が人種を理由に融資などを拒否する「レッドライニング」と呼ばれる差別的慣行が横行していました。
3. 社会的慣習と制度的差別
社会生活や制度の場でも、隔離は目立たない形で行われていました。教会、プール、レストラン、ホテル、学校などが実質的に人種によって分けられ、その背景には根強い偏見や慣習が存在しました。
4. 抵抗運動と市民権活動
こうした隔離の実態がある一方で、北部諸州は人種差別に抗う運動の中心地でもありました。さまざまな団体や個人が、平等な権利と機会の実現に向けて活動を続けてきました。
W.E.B.デュボイスやアイダ・B・ウェルズなど、北部を拠点とする多くの公民権運動指導者が登場し、人種的正義を求める有力な声を上げていきました。
5. 政治的な影響力
北部諸州は、人種隔離と戦う連邦政府の政策や立法においても重要な役割を果たしました。全国的な規模での反隔離措置を支持し、その最たる成果が1964年の公民権法(Civil Rights Act of 1964)の成立です。
まとめ
北部諸州は南部ほど露骨な形で人種隔離を行っていたわけではありませんが、それでもさまざまな形で隔離が続いていたのは事実です。公民権運動家や地域社会の組織化された努力、そして立法面での変革が積み重ねられてようやく、北部の人種隔離は少しずつ解体され、より包括的で平等な社会へと歩み始めたのです。