北米の歴史

1828年の関税法(嫌悪関税)はいかにして南北の対立を招いたのか

背景

1828年の関税法は「嫌悪関税(Tariff of Abominations)」とも呼ばれ、アメリカ合衆国議会が制定した保護関税です。この法律は、幅広い輸入品、特に製造品に対する関税を大幅に引き上げ、外国製品との競争からアメリカ国内の産業を守ることを目的としていました。

しかし、その結果として生まれたのは意図せざる国家の分裂でした。この関税は北部と南部の経済構造の違いを鋭く浮き彫りにし、やがて両者の対立を決定的なものへと押し進めていくのです。

南北の対立

1828年の関税法は、北部諸州と南部諸州の間に大きな亀裂をもたらし、緊張と摩擦を急速に高めました。その要因は以下の4点に整理できます。

1. 経済への影響

この関税から最大の恩恵を受けたのは、北部の産業、とりわけ製造業でした。高い関税により輸入品の価格が上昇したため、北部では国内産業の成長が促進されました。
一方、農業中心であり国際貿易への依存度が非常に高かった南部は、深刻な打撃を受けました。ヨーロッパからの輸入品のコスト増加は、南部経済の競争力を直接損なう結果となったのです。

2. 地域ごとの利害の対立

この関税は、北部と南部の経済的利益が根本的に異なることを白日の下にさらしました。北部は工業の発展と国内製造業を支える政策を支持していたのに対し、南部は自由貿易と、綿花などの農産物輸出のための国際市場へのアクセスを何よりも重視していました。そのため、この関税は「南部を犠牲にして北部の利益を優遇する不公正な政策」と受け取られ、反感を買いました。

3. 州権と無効化(Nullication)論争

関税問題は、州権と連邦政府の権限をめぐる重大な憲法論争へと発展しました。南部諸州は、この関税が憲法に違反し、各州が自らの経済を規制する権利を侵害していると主張しました。
中には、憲法に反すると判断した連邦法を州が無効化できるとする「無効化理論」を掲げ、関税の無効化を検討する州も現れました。この主張は連邦政府の権威そのものに挑戦するものであり、州と連邦政府の関係に深刻な緊張をもたらしました。

4. 政治的分断の深化

1828年の関税法は、民主党とホイッグ党の対立も激化させ、地域ごとに支持政党が固定化されていきました。民主党はおおむね州権と自由ね州権と自由貿易を擁護して南部で圧倒的な支持を獲得し、一方のホイッグ党は強力な連邦政府と保護関税の維持を掲げて北部の支持を固めました。こうして政治問題と地域問題が結びつき、分断はさらに深まっていきました。

まとめ

1828年の関税法は、北部と南部の経済的・政治的な溝を決定的に広げました。地域間の利害の衝突を露呈させ、州権をめぐる論戦を過熱させ、セクショナリズム(地域主義)の高まりに拍車をかけたのです。
この対立の火種は消えることなく燻り続け、数十年後、ついに南北戦争という国家的悲劇として結実することになります。