1854年に成立した「カンザス・ネブラスカ法(Kansas–Nebraska Act)」は、カンザス準州とネブラスカ準州の組織化を定めた法律です。この法案は、西部への拡大と経済発展を促進するものとして期待され、フランクリン・ピアース大統領やスティーブン・ダグラス上院議員らによって強く推進されました。
一方で、新たな領土へ奴隷制が拡大することを恐れる北部の人々からは強い反対の声が上がりました。法案は最終的に可決されましたが、その結果、北部と南部の対立はさらに深刻化し、後の南北戦争につながる大きな要因の一つとなったのです。
カンザス・ネブラスカ法を「支持」した人々
フランクリン・ピアース大統領
第14代大統領であるピアースは、この法案を積極的に支援しました。彼は西部開拓による国全体の発展を重視し、奴隷制問題よりも国家の成長を優先する立場を取りました。
スティーブン・ダグラス上院議員
法案の起草者であるダグラスは、「人民主権(住民自決)」という考え方を提唱しました。これは、各準州の住民自身が奴隷制の是非を投票で決めるべきだというもので、大陸横断鉄道の建設など西部開発を進めるうえで不可欠な法案だと主張しました。
南部民主党
南部の民主党員たちは、奴隷制を新領土に拡大できる可能性が広がるとして、この法案を強く支持しました。
カンザス・ネブラスカ法に「反対」した人々
北部ホイッグ党
北部のホイッグ党員は、1820年のミズーリ妥協を事実上無効化するこの法案に猛反対しました。奴隷制の拡大が自由労働者の経済的機会を脅かすと考えていたためです。
北部民主党
民主党内部でも意見は割れ、北部出身の民主党員の多くは奴隷制拡大への懸念から法案に反対しました。この分裂は後に党の弱体化につながります。
自由土地党(Free Soil Party)
「自由な土地、自由な労働、自由な人間」を掲げた自由土地党は、新領土への奴隷制持ち込みに断固として反対しました。
奴隷制廃止論者(アボリショニスト)
奴隷制そのものの廃止を目指す廃止論者たちは、この法案を道徳的に許容できないものとして激しく非難しました。
まとめ:法案成立がもたらしたもの
カンザス・ネブラスカ法は一時的な妥協の産物でしたが、「人民主権」の名の下に行われたカンザスでの暴力的な対立(いわゆる「流血のカンザス」)などを引き起こしました。結果として、この法案は南北の亀裂を深め、ホイッグ党の崩壊や共和党の結成といった政治的地殻変動を促し、南北戦争への道を開くことになったのです。