北米の歴史

内戦前の米国領土拡大が引き起こした激しい政治論争――奴隷制をめぐる南北対立の軌跡

奴隷制をめぐる対立

領土拡大をめぐる政治的摩擦の最大の原因となったのは、奴隷制の問題でした。合衆国が新しい土地を獲得するたびに、「その地域で奴隷制を認めるべきか」という問題が必ずと言っていいほど浮上したのです。経済が奴隷労働に深く依存していた南部諸州は新領土への奴隷制拡大を強く求めた一方、奴隷制があまり普及していなかった北部諸州は、道徳的・経済的な両面の理由からこれに断固として反対しました。

奴隷制擁護派の主張

南部諸州は「憲法は奴隷所有者が自らの財産(奴隷を含む)を合衆国のどの領土にも持ち込む権利を保障している」と主張しました。彼らにとって奴隷制の拡大とは、自らの政治力と経済的優位性を維持するための不可欠な手段だったのです。

奴隷制反対派の主張

一方、北部諸州は、奴隷制は道徳的に誤りであり、経済的にも非効率だと訴えました。奴隷制の拡大は、合衆国建国の基盤である平等と民主主義の原則を根本から損なうと考えられたのです。さらに、奴隷所有州の政治力が増大すれば、自由州の利益が脅かされるという懸念も強まっていました。

政治的妥協の試み

新領土における奴隷制をめぐる対立を受け、南北の利害のバランスを保つための妥協がいくつも成立しました。

1820年のミズーリ妥協では、ミズーリを奴隷州として、メインを自由州として連邦に加えることで、上院における奴隷州と自由州の勢力均衡が図られました。

しかし1854年のカンザス・ネブラスカ法は、このミズーリ妥協を撤廃し、カンザスとネブラスカの入植者自身が住民投票によって奴隷制の可否を決める方式を採用しました。この結果、両準州では賛否両派の武装衝突が相次ぎ、事態はさらに混迷を深めることになります。

高まり続ける緊張

こうした一連の妥協にもかかわらず、奴隷制をめぐる緊張はエスカレートし続けました。ウィリアム・ロイド・ギャリソンやフレデリック・ダグラスらに率いられた北部の廃奴運動は世論を大きく喚起し、奴隷制への批判を高めるとともに、南北間の亀裂を一段と深めていきました。

結局のところ、領土拡大と奴隷制の問題は、1861年に勃発する南北戦争の最重要要因の一つとなりました。奴隷制における自らの利益を守るため、南部諸州はついに連邦からの脱退を選択したのです。