北米の歴史

デンバー造幣局の平和ドルが少ない理由とは?鋳造の実態と希少性を解説

平和ドルとデンバー造幣局の関係

平和ドル(Peace Dollar)は、第一次世界大戦の終結を記念して1921年から1935年にかけてアメリカで発行された1ドル銀貨です。デザイナーはアンソニー・デ・フランチシ(Anthony de Francisci)で、自由の女神をあしらった表側と、山頂に佇む鷲が描かれた裏側が大きな特徴です。

「デンバー造幣局で鋳造された平和ドルはごくわずかだ」という話を耳にすることがあります。実際には、デンバー造幣局(Dミントマーク)でも平和ドルは製造されていますが、フィラデルフィア本局に比べて発行枚数が少ない年が多く、結果として希少価値が高くなっています。

デンバー造幣局が平和ドルを鋳造した年

デンバー造幣局が平和ドルを製造したのは、次の年です。

  • 1922年(D):約1,506万枚
  • 1923年(D):約681万枚
  • 1926年(D):約235万枚
  • 1927年(D):約127万枚
  • 1934年(D):約157万枚

一方、1921年・1924年・1925年・1928年・1935年には、デンバー造幣局での平和ドルの鋳造は一切行われていません。このため「デンバーの平和ドルは存在しない」と誤解されることもありますが、正しくは「鋳造された年が限られ、しかも各年の発行枚数も少なめ」というのが実情です。

発行枚数が少なかった理由

1. ピットマン法による再鋳造の中心はフィラデルフィアだった

1918年に成立したピットマン法(Pittman Act)により、約2億7,000万枚もの銀貨が溶解され、その代替として新しいシルバーダラーの鋳造が義務付けられました。この大規模な再鋳造業務は、設備と生産能力が最も充実していたフィラデルフィア造幣局が中心となって担いました。デンバー造幣局やサンフランシスコ造幣局は補助的な役割にとどまったため、自然と発行枚数は少なくなりました。

2. デンバー造幣局は他の貨種の生産が主体だった

デンバー造幣局はもともと金地金の精錬所として出発した施設であり、1ドル銀貨よりも小額面の硬貨(ダイム、クォーター、ハーフダラーなど)の生産に重点が置かれていました。そのため、銀貨の鋳造が必要とされた年だけ限定的に参加する形となりました。

3. 銀価格と需要の変動

1920年代後半には銀価格の上昇と銀貨需要の減退により、1ドル銀貨全体の鋳造数が激減しました。特に1928年以降は各造幣局とも発行枚数が大きく落ち込み、デンバーでは1934年を最後に平和ドルの鋳造から撤退することになりました。

希少性とコレクター価値

デンバー製の平和ドルの中でも、1927-D(約127万枚)や1934-D(約157万枚)は発行枚数が少なく、保存状態の良い個体はコレクター市場で高い評価を受けています。また参考までに、1928年の平和ドルはフィラデルフィア製ながら約36万枚と極めて少なく、シリーズ全体で最も有名なキーデイトとされています。

まとめると、デンバー造幣局の平和ドルが少ないのは、鋳造年が限定されていたことに加え、ピットマン法に基づく再鋳造の主力がフィラデルフィア造幣局だったこと、そしてデンバー局の役割が補助的だったことが背景にあります。収集の際は、貨幣表面下部に刻まれたミントマーク(D=デンバー、S=サンフランシスコ、無刻印=フィラデルフィア)を確認すれば、どの造幣局で作られた硬貨かを見分けられます。