北米の歴史

ウィリアム征服王はイングランドのどこに上陸したのか?

ノルマンディー公ウィリアム、すなわち後に「征服王ウィリアム」と呼ばれることになる人物は、1066年9月28日、イングランド南岸のサセックス地方ペヴェンジー(Pevensey)に軍勢を上陸させました。

ペヴェンジー上陸の背景

当時のイングランド王エドワード懺悔王が後継者を残さず死去すると、ウィリアムは自らが王位継承の正当な権利を持つと主張しました。これを実現するため、彼は約700隻ともされる艦船に兵士や軍馬を乗せ、英仏海峡を渡ってイングランドへ侵攻したのです。

上陸地点として選ばれたペヴェンジーは、現在のイースト・サセックス州にあたる海岸沿いの町で、ローマ時代の要塞跡があり、艦隊を停泊させるのに適した地形でした。伝えられるところによれば、ウィリアムはこのローマ要塞の跡地を最初の拠点として利用したといわれています。

上陸後の展開

興味深いことに、この時期イングランド王ハロルド2世は北方での戦いに向かっていました。ハロルドは同年9月25日、スタンフォード・ブリッジの戦いでノルウェー王ハーラル3世を破ったばかりでしたが、ウィリアム上陸の報を受けると急ぎ南下を余儀なくされます。

一方のウィリアムは上陸後、ヘイスティングス近郊へ進軍して木製の砦を築き、態勢を整えました。そして1066年10月14日、両軍は歴史に名高いヘイスティングスの戦いで激突します。この戦いでハロルド2世は戦死し、ウィリアムは勝利を収めました。

歴史的意義

ペヴェンジーへの上陸は、単なる一つの軍事作戦にとどまらず、ノルマン・コンクエスト(ノルマン征服)の幕開けとなる出来事でした。同年のクリスマスにはウィリアムがウェストミンスター寺院でイングランド王として戴冠し、以降のイングランドの歴史、言語、文化、統治体制に計り知れない影響を与えることとなりました。