北米の歴史

1783年パリ条約で定められた新興アメリカ合衆国の国境線とは?

1783年パリ条約と新生アメリカの領土

1783年に調印されたパリ条約は、アメリカ独立戦争に正式な終止符を打ち、イギリスがアメリカ合衆国の独立を承認した歴史的な条約です。この条約によって、新しく生まれた国家の国境線が初めて明確に定められました。

条約で定められた4つの国境

北側の国境

北の境界は、大西洋岸から五大湖を経由してミシシッピ川源流域まで引かれました。具体的には、セントクロワ川から高地線を経てコネチカット川に至り、北緯45度線に沿って五大湖(スペリオル湖)へ抜けるという複雑な線です。
なお、現在のカナダとの国境の一部である北緯49度線が国境となったのは1818年の協定以降のことであり、1783年時点ではまだ国境ではありませんでした。

東側の国境

東の境界は大西洋そのものです。広大な海岸線を手に入れたことで、漁業権や海上交易の基盤が確保されました。

南側の国境

南の境界は、ミシシッピ川から東へ北緯31度線に沿ってチャタフーチー川まで引かれ、そこからセントメアリーズ川を通って大西洋へと至ります。これが現在のジョージア州とフロリダ州の境界の原型となりました。
なお、当時フロリダはイギリスからスペインへ返還されています。

西側の国境

西の境界はミシシッピ川とされました。この大河は当時のアメリカにとって西の果てであり、その対岸はスペイン領ルイジアナでした。

北西部領土の承認

さらに条約では、アメリカによる北西部領土(Northwest Territory)への主張も認められました。この地域には、現在のオハイオ州、インディアナ州、イリノイ州、ミシガン州、ウィスコンシン州が含まれます。

まとめ

パリ条約により、アメリカ合衆国は大西洋からミシシッピ川まで、五大湖からほぼフロリダ北部まで及ぶ広大な領土を獲得しました。これは当初の13植民地の範囲を大きく超えるものであり、その後の西進運動と国土拡大の出発点となったのです。