アメリカ南北戦争が勃発する前に、北(北部諸州)と南(南部諸州)は戦争を回避するために、数多くの妥協案を提示してきました。奴隷制をめぐる深刻な対立を乗り越えようとした代表的な試みを、時系列でご紹介します。
1. ミズーリ妥協(1820年)
ミズーリ妥協は、ルイジアナ買収によって新たに獲得した領土における奴隷制の問題を解決することを目的としたものでした。この妥協により、ミズーリが奴隷州として、メインが自由州として連邦に加盟することが認められました。さらに、残りのルイジアナ準州においては北緯36度30分線を境界とし、その以北を自由領土、以南を奴隷制を認める領土として区切ることが定められました。
2. 1850年妥協
米墨戦争後、メキシコから割譲された領土における奴隷制の扱いをめぐって成立したのがこの1850年妥協です。カリフォルニアは自由州として連邦加盟を果たす一方、ユタ準州とニューメキシコ準州では「人民主権」の原則に基づき、住民自身が奴隷制の可否を決定できることになりました。同時に、逃亡奴隷法(1850年)も制定され、全ての市民に脱走した奴隷を捕らえて所有者のもとへ返還する義務が課されました。
3. カンザス・ネブラスカ法(1854年)
この法律は、ミズーリ妥協で定められた境界線を無効化し、カンザス準州とネブラスカ準州の住民が人民主権によって奴隷制の是非を決められるようにしたもので、奴隷制をめぐる論争にさらなる火をつけました。この法案を巡る激しい対立は、後に南北戦争勃発の引き金の一つとなったのです。
4. クリッテンデン妥協(1861年)
これは、ケンタッキー州選出の上院議員ジョン・J・クリッテンデンが率いる議員グループによる、連邦維持と開戦回避のための最後の試みでした。南部諸州の懸念に応えるための複数の憲法修正条項が提案され、その中には南部诸州における奴隷制度を憲法で保護する条項も含まれていました。しかしながら、この提案は議会において北部派と南部派の双方から拒否され、実現には至りませんでした。
妥協の試みはなぜ失敗したのか
これらの妥協案は、特に新領土への奴隷制拡大をめぐる問題を中心に、北と南の深い亀裂を埋め合わせようとするものでした。しかし、双方の主張は根本的に相容れず、一時的な調整を繰り返すうちに対立はむしろ深刻化していきました。こうした努力にもかかわらず、両地域間の緊張はついに爆発し、1861年に始まった南北戦争は1865年まで続くことになったのです。