米国憲法が国土の根本法として受け入れられた後も、パトリック・ヘンリーはバージニア州で政治家としてのキャリアを続けました。憲法の批准には当初反対の立場を取っていましたが、結果を受け入れた後は、権利章典(権利法案)の採択を後押しするなど、新しい連邦体制の中で州の権利を守るために尽力しました。
バージニア州初代知事としての業績
ヘンリーは1776年から1779年までバージニア州の初代州知事を務め、その後1784年から1786年にかけて再び州知事に就任しました。最初の在任期間中、彼はバージニアが新しい政府体制へ移行する過程を見守り、州内に公立学校を設立する基盤づくりにも貢献したとされています。
アメリカ独立革命における役割
ヘンリーはアメリカ独立革命においても重要な役割を果たしました。1774年にはバージニアの部隊を率いてポイント・プレザントの戦いに関わり、また同年から1776年までは大陸会議の代議員として活躍しました。卓越した弁舌の才能を持つ彼は、植民地の人々を独立へと駆り立てる原動力となりました。
晩年と引退後の生活
2度目の州知事任期を終えた後、ヘンリーは公職から退き、弁護士業に専念する静かな生活を送りました。そして1799年、63歳でこの世を去りました。
今日に残るヘンリーの遺産
パトリック・ヘンリーは、アメリカ史上最も重要な人物の一人と見なされています。特に「自由をくれよ、さもなくば死を!(Give me liberty, or give me death!)」という有名な一節は、アメリカ史上最も力強く、人々を鼓舞する演説の一つとして、今なお多くの人々の記憶に刻まれています。