アメリカ独立戦争において、先住民の大多数がイギリス側に付いたというのは、実はよくある誤解です。一部の部族は確かにイギリスと同盟を結びましたが、それ以外の多くの部族は中立を保つか、むしろアメリカ(独立派)を支持していました。部族ごとの選択の背景は複雑で多岐にわたりますが、大きく次の3つの要因に整理できます。
1. 歴史的な同盟関係と入植者への不満
多くの部族は、植民地時代から続く長年の同盟関係をイギリスと結んでいました。こうした関係は、毛皮交易などの経済的な絆、軍事的な援助、そしてアメリカ人入植者への共通の不信感によって支えられていました。代表的な例がイロコイ連邦(六部族連合)で、特にモホーク族はイギリスとの強固な関係を維持し、戦争中も一貫してイギリス側で戦いました。
一方で、アメリカ人入植者に対する恨みを抱えていた部族も少なくありませんでした。土地をめぐる紛争、条約の一方的な破棄、入植者による虐待などが主な原因です。例えばチェロキー族は、アメリカ人入植者によって伝統的な土地から追い出された経験を持ち、条約が遵守されないことへの怒りを募らせていました。
2. イギリスの軍事力と物的支援
当時のイギリスは世界屈指の軍事大国であり、同盟部族に武器、弾薬、物資を安定的に供給することができました。装備の乏しい先住民の戦士にとって、この支援はアメリカ軍に対抗する上で決定的に重要でした。例えばショーニー族は、イギリスからの継続的な支援を受けることで、長年にわたってアメリカの西進への抵抗を続けることができました。
3. アメリカによる領土拡大への恐れ
最大の動機となったのは、アメリカが戦争に勝利すれば、最終的に先住民の土地が奪われるだろうという恐怖でした。開戦前の数十年間に、アメリカ人入植者がすでに広大な先住民の土地を占拠していたことは周知の事実であり、この懸念には十分な根拠がありました。例えばデラウェア族は、アメリカが勝てばペンシルベニアに残る自らの土地も失うのではないかと危惧していました。
戦後、先住民はどうなったのか
皮肉なことに、1783年のパリ条約でイギリスはアメリカの独立を認めますが、戦争中に味方した先住民の権利や土地についてほとんど配慮されることはありませんでした。同盟の見返りがないまま取り残された形となった部族は、その後の北西部インディアン戦争など、辺境での長い対立に巻き込まれていくことになります。なお、同じイロコイ連邦内でもオナイダ族やタスカローラ族はアメリカ側を支持しており、先住民の対応が一枚岩ではなかったことも注目に値します。
まとめ
アメリカ先住民の大多数は、独立戦争中およびその後もイギリス側に付いたわけではありません。しかし一部の部族は、植民地時代からの歴史的な同盟関係、アメリカ人入植者への恨み、イギリスによる軍事的・物的支援、そしてアメリカの領土拡大への恐れといった複合的な理由から、あえてイギリスとの同盟を選択しました。彼らの選択は単なる「親英」という言葉では語れない、生存と土地をかけた切実な判断だったのです。