結論から言えば、中世にも道路は確かに存在していました。ただし、その状態や整備水準は時代や地域によって大きく異なり、現代のような快適な旅ができたわけではありません。
ローマ帝国が残した広大な道路網
中世ヨーロッパの道路の多くは、その起源をローマ帝国に遡ります。ローマ人は「すべての道はローマに通ず」という言葉の通り、ヨーロッパ全土にわたって石畳で舗装された高度な道路網を築き上げました。これらのローマ街道は軍事目的だけでなく、交易や行政のために建設され、その技術水準は非常に高く、何百年もの間使用に耐えるものでした。
西ローマ帝国滅亡後も、こうした街道は中世の人々によって利用され続けました。巡礼者や商人、王侯貴族の移動路として、ローマ街道は中世の交通インフラの中核であり続けたのです。
老朽化と荒廃——中世の道は決して安全ではなかった
しかし、ローマ帝国の崩壊後、大規模な公共事業を行う中央政府が失われたため、道路の維持管理は急速に滞りました。多くの街道は放置され、舗装が剥がれ、轍(わだち)が深く刻まれ、雑草が生い茂る荒れた道へと変わっていきました。
さらに、当時の旅には物理的な悪条件以外の危険もつきものでした。
- 盗賊や追いはぎの脅威:人里離れた道では強盗に襲われる危険が常にありました。
- 悪天候と悪路:雨が降れば泥沼と化し、冬には雪で通行不能になることも珍しくありませんでした。
- 橋や渡し場の不足:川を渡るには遠回りを強いられるか、危険な浅瀬を渡るしかない場合も多かったのです。
中世に新しく作られた道とは?
一方で、中世においても新しい道路が建設されないわけではありませんでした。都市の成長や市場の発展、巡礼路の需要などに応じて、各地で新たな道が開削されていきます。
ただし、これらの中世の新設道路は、ローマ街道のような本格的な舗装が施されることはほとんどなく、狭く、未舗装の土の道が一般的でした。天候の影響を直接受けやすく、通行できる速度も荷物の量も限られていました。それでも、地域経済や人の往来を支える重要な生命線として機能していたのです。
まとめ:中世の道路は「あった」が「快適」ではなかった
中世ヨーロッパには道路がありましたが、それは古代ローマの偉大な遺産の「使い古された残骸」と、必要に応じて作られた質素な土の道の組み合わせでした。旅行は困難で危険を伴うものの、そうした道の上を人々、馬、荷車が行き交い、中世社会の経済と文化を静かに支えていたのです。