第一次世界大戦が勃発した1914年当時、アメリカ合衆国はヨーロッパの紛争に距離を置き、孤立主義(モンロー主義に代表される非干渉路線)を維持しようとしました。その背景には、地理的・歴史的・社会的な複数の要因が絡み合っていました。
1. 地理的な隔絶による安全感
アメリカは大西洋を挟んでヨーロッパと隔たっており、この広大な海洋が天然の防壁として機能していました。ヨーロッパで戦火が広がっても、自国の国土が直接攻撃される危険性は低いと認識されており、これが「遠くの戦争」への無関心を後押ししました。
2. 建国以来の孤立主義の伝統
アメリカには初代大統領ジョージ・ワシントンが1796年の告別演説で示した「永久的な同盟や外国との複雑な関係に陥るな」という有名な警告以来、同盟への不介入を国是とする伝統がありました。この外交原則は約120年間にわたって受け継がれ、多くの国民にとって自明の価値観となっていたのです。
3. 中立政策の重視
アメリカ政府は建国以来、ヨーロッパ列強間の紛争に巻き込まれないための中立政策を重視してきました。武器販売や融資をめぐる倫理的・経済的リスクへの警戒も強く、交戦国のいずれかに加担することは国家の利益を損なうという考え方が主流でした。この中立の理念は、後に1930年代の中立法として法制化されることになります。
4. 国内問題への集中
当時のアメリカは、人種問題や労働争議、都市化に伴う社会変動、女性参政権運動の高まりなど、解決すべき国内課題を多数抱えていました。「海の向こうの戦争に関与する余裕はない。まず自分たちの国を何とかすべきだ」という意識が、国民の間に広く浸透していました。
5. 政治的・軍事的な巻き込まれの回避
孤立主義者たちは、ヨーロッパ諸国を戦争へと引きずり込んだような複雑な同盟網や軍事的コミットメントに、アメリカが足を踏み入れることを強く警戒していました。ヨーロッパの対立に肩入れすれば、莫大な人的・経済的犠牲を強いられるだけでなく、国益も損なわれる——これが彼らの一貫した主張でした。
6. 直接的な脅威の不在
開戦当初の時点で、ヨーロッパの戦争がアメリカの安全保障や領土に直接的な脅威をもたらすとは考えられていませんでした。「これはあくまでヨーロッパ内部の問題であり、関わらないことが最善の対応だ」という見方が、政府内でも世論でも支配的でした。
7. 強固な中立を求める世論
移民を多く抱えるアメリカでは、ドイツ系、アイルランド系など出身地域によって戦争への見方が分かれており、かえって「どちらの側にも付かない」という中立支持が多数派となりました。海外へ兵士を送り出し、外国人の戦争で血を流すことに対する反発は非常に強かったのです。
孤立主義から参戦へ——転換の要因
ただし、この孤立主義は戦争の進展とともに次第に揺らいでいきました。1915年の客船ルシタニア号撃沈事件によるアメリカ人乗客の大量死、ドイツによる無制限潜水艦作戦の再開、そしてドイツがメキシコに対してアメリカ攻撃を持ちかけたとされる「ツィンメルマン電報」の暴露などが重なり、介入支持の世論が急速に拡大しました。
こうした経緯を経て、アメリカは1917年に連合国側として第一次世界大戦に参戦することになります。しかし開戦時点においては、孤立主義こそがアメリカ外交の主流だったのです。