西暦590年は、古代世界が終わりを迎え、中世へと移り変わる大きな転換点に位置する年です。地中海世界では東ローマ帝国とサーサーン朝ペルシャが覇権を争い、西欧ではゲルマン系諸王国が独自の勢力を築きつつありました。一方、東アジアでは隋による中国再統一が実現し、日本でも仏教受容をめぐる動きが本格化していました。この記事では、590年前後の世界各地で何が起こっていたのかを、正確な史実に基づいて解説します。
ローマ:疫病の中で誕生した「大教皇」グレゴリウス1世
590年のローマといえば、まず教皇グレゴリウス1世(グレゴリウス大帝)の即位が挙げられます。同年、ローマでは深刻なペストが猛威をふるい、前教皇ペラギウス2世もその犠牲となりました。グレゴリウスは9月3日に教皇に選出されています。
彼は『司牧者の規範』や『対話録』などの著作を残し、後世の西洋キリスト教思想に絶大な影響を与えました。また596年にはカンタベリーのアウグスティヌスをブリテン島へ派遣し、イングランドへのキリスト教伝道の道を開いたことでも知られています。
なお、しばしば590年の出来事として語られる皇帝マウリキオスの暗殺は、実際には602年に反乱指導者フォカスによって起こった別の出来事であり、この年ではありません。
サーサーン朝ペルシャ:内乱とクスロー2世の復位
同じ頃、サーサーン朝ペルシャでは深刻な内乱が発生していました。国王ホルミズド4世は貴族たちによって廃位・殺害され、将軍バフラーム・チョービンが王位を奪取します。追い詰められた王子クスロー2世は東ローマ皇帝マウリキオスのもとへ亡命し、その軍事的支援を受けて591年に王位を回復しました。
この出来事はその後の歴史に大きな影響を及ぼします。恩人であるマウリキオスが602年に殺されると、クスロー2世は復讐を口実に東ローマ帝国へ大規模な侵攻を開始しました。エルサレム陥落(614年)の際には、キリストが磔刑に処されたとされる「聖十字架」がペルシャ側に持ち去られています。これらは590年ではなく7世紀初頭の出来事ですが、その発端となったのがまさに590年前後のペルシャ内乱だったのです。
イベリア半島:西ゴート王国のカトリック改宗と統合
スペインの西ゴート王国では、590年の時点でレッカルド1世の治世が続いていました。レッカルド1世は589年の第3トレド教会会議において、アリウス派からカトリックへの改宗を宣言しており、これは西ゴート史における画期的な転換点でした。王と民が同じ信仰を共有することで、支配層である西ゴート人と被支配層であるヒスパノ・ローマ人の融合が進み、王国の安定につながっていきます。
ただし、この時点でイベリア半島が完全に統一されたわけではありません。半島南部には依然として東ローマ帝国の属州「スパニア」が存続しており、ビザンツ勢力の完全な排除は7世紀に入ってから、スウィンティラ王の時代(624年頃)にようやく達成されました。
中国:隋による再統一と、後の大運河建設へ
中国大陸では、隋の文帝(楊堅)が589年に南朝の陳を滅ぼし、約300年ぶりの中国統一を成し遂げた直後でした。590年の隋は、新たな統一体制を固める時期にあたります。均田制や府兵制の整備、科挙の原型となる官吏登用制度の導入など、後の唐王朝にも引き継がれる国家制度が形づくられていきました。
なお、有名な大運河の建設が始まったのは、文帝ではなく第二代煬帝の時代、605年のことです。黄河と長江を結ぶこの巨大な水路網は、世界史上屈指の土木事業として知られ、以後1400年以上にわたって輸送や灌漑に利用されてきました。
日本:仏教受容の波と蘇我氏の台頭
当時の日本では崇峻天皇の治世にあたり、仏教受容をめぐる争いの帰結が歴史を動かしていました。587年の丁未の乱で物部守屋を破った蘇我馬子は、仏教の保護者として飛鳥寺の建立などを進めます。そして592年に推古天皇が即位、翌593年には聖徳太子(厩戸皇子)が摂政に就任し、法興寺の建立や冠位十二階の制定など、飛鳥時代の幕開けを飾る政策が次々と展開されていくのです。
ムハンマドの誕生について:正しい年代を確認
イスラム教の預言者ムハンマドは、一般に570年頃にメッカで生まれたとされています。つまり590年の時点で彼は20歳前後の青年であり、40歳頃の610年に最初の啓示を受けたとされるため、イスラム教の成立自体は7世紀初頭の出来事です。ムハンマドの死後、イスラム教はアラビア半島から急速に広がり、やがて世界最大級の宗教へと発展していきました。
まとめ:590年が示す「移行の時代」
西暦590年は、単独の劇的な事件というより、複数の文明が同時に変化の渦中にあった年です。ローマでは新しい教皇が疫病に立ち向かい、ペルシャでは内乱が後の大戦争の種を蒔き、スペインでは宗教的統合が進み、中国では新王朝が体制を固め、日本では仏教文化の芽が育ち始めていました。古代から中世への移行期を理解するうえで、590年前後の歴史的文脈を押さえておくことは非常に有益だと言えるでしょう。