1850年代のオーストラリア・ゴールドラッシュの時期には、推定25万人もの人々が海を越えてオーストラリアに到着しました。彼らの多くはイギリス、アイルランド、そしてドイツをはじめとするヨーロッパ大陸諸国からの移民でした。
ゴールドラッシュの始まり
1851年、ニューサウスウェールズ州バサースト近郊で金鉱が発見されたことをきっかけに、オーストラリア全土でゴールドラッシュが勃発しました。続いてビクトリア州のバララットやベンディゴでも大規模な金鉱床が見つかり、「新たなカリフォルニア」を求める人々が世界中から押し寄せることになりました。
移民たちの出身地
ゴールドラッシュ期にオーストラリアへ渡った人々の主な出身地は以下の通りです。
- イギリス・アイルランド: 移民全体の中で最大の割合を占めました。英語圏であることや植民地としてのつながりから、最も移住しやすい目的地だったのです。
- ドイツ: 特に南オーストラリア州にはドイツ系コミュニティが形成され、現在のバロッサバレーのワイン産業の礎を築きました。
- その他のヨーロッパ諸国: イタリア、ポーランド、ハンガリー、フランスなどからも多数の鉱山労働者が渡航しました。
オーストラリア社会への影響
この大規模な人口流入により、ビクトリア州の人口は1851年の約7万7千人から1860年までのわずか9年間で50万人以上に急増しました。メルボルンは一躍世界有数の富裕都市となり、「マーヴェラス・メルボルン(驚異のメルボルン)」と呼ばれる繁栄期を迎えます。
また、鉱夫たちが採掘許可料の負担に抗議して起こしたユーリカ・ストッケードの反乱(1854年)は、オーストラリアの民主主義運動の象徴として歴史に刻まれています。
まとめ
ゴールドラッシュは単なる経済現象にとどまらず、約25万人のヨーロッパ系移民を受け入れたことで、オーストラリアが多文化的な近代国家へと歩み出す転換点となりました。今日のオーストラリア社会の多様性は、この時代にその基盤が築かれたといえるでしょう。