オーストラリアの歴史の教科書には「キャンベラは公平さのために建設された」と記されていることがあります。しかし、なぜシドニーやメルボルンといった大都市ではなく、あえて新しい都市を首都としたのか、その詳しい理由を知らない人も多いのではないでしょうか。この記事では、キャンベラが首都に選ばれた背景にある5つの理由を分かりやすく解説します。
1. シドニーとメルボルンの権力争い
19世紀後半のオーストラリアにおいて、シドニーとメルボルンは最も有力な2大都市でした。両都市はいずれも経済力、人口、政治的影響力を兼ね備えており、互いに覇権を争う激しいライバル関係にありました。
1901年にオーストラリア連邦が成立した際、どちらか一方を首都にすれば、もう一方の都市が反発し、対立はさらに深刻化して国家の結束を損なう恐れがありました。そこで「どちらの都市でもない場所」に首都を置くという案が、現実的な解決策となったのです。
2. 沿岸部に位置する地理的な弱点
シドニーもメルボルンも、オーストラリアの東海岸に位置しています。当時の国際情勢を踏まえると、海に面した沿岸部は外国からの攻撃を受けやすいという懸念がありました。
政府中枢や重要機関を沿岸部に置くことは、国防上のリスクを高めることにつながります。内陸部に首都を設けることで、外部からの脅威に対して一定の安全性を確保できると考えられたのです。
3. 国土の中心に近い立地の重要性
首都選定における重要な条件の一つが、国土全体へのアクセスの良さです。広大なオーストラリアを効率的に統治するためには、各地域との通信や交通が便利な、比較的中心部に近い場所が理想的でした。
しかし、シドニーもメルボルンも国土の南東部に偏っており、中心性という点では不十分でした。遠隔地の州との距離を考慮すると、より国土の中央に近い首都が必要とされていたのです。
4. 妥協によって生まれた「中立の首都」
国家の統一を促進し、都市間の対立を回避するため、既存のどの都市にも属さない中立な新しい首都を建設することが決定されました。
実際、オーストラリア憲法では、首都はニューサウスウェールズ州内に設けられるものの、シドニーから100マイル(約160キロ)以上離れた場所と定められています。こうして選ばれたのがキャンベラです。新しい首都の建設は、すべての州と準州が対等であるという平等の精神と、若い国家の新たな出発を象徴するものでした。
5. 将来を見据えた計画都市としての可能性
シドニーとメルボルンはすでに発展を遂げた成熟した都市であり、大規模な拡張の余地は限られていました。一方、まったく新しい土地に首都を建設すれば、当時最先端の都市計画の理念に基づいて、理想の都市をゼロから設計することができます。
キャンベラは、政府機能と住民の生活空間を兼ね備え、将来の人口増加や都市の発展にも対応できる「計画都市」として構想されました。1912年にはアメリカの建築家ウォルター・バリー・グリフィンの設計案が採用され、美しい湖と緑豊かな街並みを持つ近代都市へと姿を整えていきました。
まとめ:キャンベラは「妥協」が生んだ首都
キャンベラが首都に選ばれたのは偶然ではなく、シドニーとメルボルンの対立という政治的事情、国防上の配慮、国土の中心性、そして将来性など、複数の要因が重なった結果です。
興味深いことに、首都機能がキャンベラへ完全に移転する1927年までの約26年間、メルボルンが仮の首都として議会の役割を果たしていました。「公平さのために作られた首都」という教科書の記述には、こうした歴史的背景が込められているのです。