アメリカ合衆国は、建国以来、ネイティブ・アメリカン(アメリカ先住民)の諸民族と数百に及ぶ条約を締結してきました。しかし、その多くは連邦政府によって一方的に破られ、先住民の土地や権利は奪われていきました。ここでは、アメリカが守らなかった主な条約、関連する重要な裁判例、そして先住民の運命を左右した法律を一覧でご紹介します。
破られた主な条約
以下は、アメリカ合衆国政府が履行しなかった、あるいは一方的に破棄された代表的な条約です。
- ホープウェル条約(1785年)
- フォート・フィニー条約(1786年)
- グリーンビル条約(1795年)
- コルレイン条約(1796年)
- ピッカリング条約(カナンダイグア条約、1794年)
- カナンダイグア第二次条約(1795年)
- テリコ条約(1798年)
- カナンダイグア第三次条約(1802年)
- フォート・マンダン第一次条約(1804年)
- フォート・マンダン第二次条約(1805年)
- ダドリーヴィル条約(1811年)
- カナンダイグア第五次条約(1815年)
- ワシントン条約(1816年)
- インディアン・スプリングス条約(1825年)
- カナンダイグア第六次条約(1825年)
- バッファロー・クリーク第一次条約(1826年)
- チョクトー・エージェンシー条約(1820年)
- フランクリン条約(1806年)
- ダンシング・ラビット・クリーク条約(1830年)
- ペインズ・ランディング条約(1832年)
- ポントトック条約(1832年)
- バッファロー・クリーク第二次条約(1838年)
- ワシントン条約(1842年)
先住民の権利をめぐる重要な裁判例
条約だけでなく、連邦最高裁判所の判決も先住民の法的地位に大きな影響を与えました。特に「マーシャル三部作」と呼ばれる一連の判決は、先住民の主権を大きく制限するものとなりました。
- ジョンソン対マッキントッシュ事件(1823年) — 個人が先住民から直接購入した土地の所有権を認めないと判決。
- チェロキー族対ジョージア州事件(1831年) — チェロキー族を「国内従属国家」と位置づけ、独立した主権を持つ外国として扱わないと判断。
- ウスター対ジョージア州事件(1832年) — 先住民の領域内では州法ではなく連邦法が優先すると認めた一方、実効性は乏しかった。
- ドレッド・スコット対サンフォード事件(1857年) — 先住民を含む非白人を市民として扱わない判決。
- マーシャル三部作 — 上記の判決群を指し、「発見の教義」に基づき先住民の土地権利を制限する法的枠組みを作った。
先住民の運命を変えた主要な法律
議会で成立した法律もまた、先住民の生活と文化に深刻な影響を及ぼしました。
- インディアン移住法(1830年) — 東部の先住民をミシシッピ川以西へ強制的に移住させる根拠となり、「涙の道」と呼ばれる悲劇を生んだ。
- 一般割当法(ドーズ法、1887年) — 部族共有地を個人に分割割り当てることで部族の土地保有を解体し、膨大な土地が白人開拓者の手に渡った。
- インディアン市民権法(1924年) — アメリカ生まれの先住民に米国市民権を付与。
- インディアン児童福祉法(1978年) — 先住民の子どもが部族外に不当に引き取られることを防ぐための法律。
- 女性に対する暴力防止法(1994年) — 部族裁判所の管轄権を拡大し、保留地内での暴力被害への対応を強化。
- ネイティブ・アメリカンの墓の保護と返還に関する法律(NAGPRA、1990年) — 先住民の遺骨や聖なる物品、文化的遺産の返還を義務づけた。
- インディアン賭博規制法(1988年) — 保留地でのカジノ運営の枠組みを定め、部族経済の柱の一つとなった。
おわりに
これらの条約や法律の歴史は、アメリカ合衆国が先住民との約束をいかに軽視してきたかを物語っています。近年では、先住民の主権回復や過去の不正義への謝罪・補償を求める動きが強まっており、これらの歴史的事実を正しく知ることが、真の和解への第一歩となるでしょう。