1776年7月4日に採択されたアメリカ独立宣言は、前半で独立の理念を説いた後、後半でイギリス国王ジョージ3世による「専制」の証拠として具体的な苦情(グリーバンス)を列挙しています。その中に、本記事のテーマである「外国人傭兵(foreign mercenaries)」に関する一節が登場します。
独立宣言における「外国人傭兵」の記述
独立宣言の苦情箇所には、次のような文言があります。
「彼(ジョージ3世)はこのとき、死と荒廃と専制の業を完成させるために、大規模な外国人傭兵軍団を輸送しつつある」
英語原文では “He is at this time transporting large Armies of foreign Mercenaries to compleat the works of death, desolation and tyranny…” と表現されており、「外国人傭兵」という言葉は、まさに王への非難の文脈で使われています。
「外国人傭兵」の正体――ヘシアン傭兵とは
宣言で非難されていたのは、イギリスが北米戦線のために雇い入れたドイツ人傭兵部隊です。特に有名なのが、ドイツのヘッセン=カッセル方伯領などから派遣された兵士たちで、一般に「ヘシアン(Hessians)」と呼ばれます。
- 当時のドイツはまだ統一国家ではなく、大小の領邦国家に分かれており、諸侯は財政収入のため他国へ兵士を貸し出すことがありました。
- イギリスは複数の領邦と条約を結び、独立戦争期間中に延べ約3万人規模のドイツ人兵士を北米へ送り込んだとされます。
- 彼らは訓練された歩兵として、ニューヨークやニュージャージーなど東海岸各地の戦闘に投入されました。
なぜ植民地の人々は激しく反発したのか
独立宣言がこの件を強く非難した背景には、主に三つの理由があります。
1. 「同じ国民」への武力行使
当時の植民地の人々は、自分たちをイギリス国王の臣民だと考えていました。その国王が、同胞であるはずの臣民を鎮圧するために外国の兵士を雇うという行為は、「残酷で裏切りに満ちた専制の証拠」と受け取られました。
2. 戦争の長期化・激化への恐怖
訓練されたプロの傭兵部隊の投入は、もはや話し合いによる解決ではなく、武力による完全な制圧を目指していることを意味します。これは妥協の余地を狭め、独立への流れを決定的なものにしました。
3. 財産と生活への直接的な脅威
傭兵部隊の駐留や移動は、民家の接収や略奪といった被害を伴うことも多く、一般市民にとって身近で深刻な脅威となっていました。
トレントンの奇襲――ヘシアン傭兵との初めての大勝利
1776年12月26日、ジョージ・ワシントン率いる大陸軍はクリスマスの夜にデラウェア川を渡り、トレントンに駐屯していたヘシアン部隊を急襲しました。この戦いで大陸軍は約900人の捕虜を獲得し、連敗続きだった革命軍の士気を大きく回復させました。つまり「外国人傭兵」は、アメリカ独立戦争の転換点にも深く関わっていたのです。
まとめ
独立宣言における「外国人傭兵」とは、イギリス王ジョージ3世がアメリカ植民地の鎮圧のためドイツ諸侯から雇い入れた傭兵部隊、いわゆるヘシアン傭兵を指します。宣言の中では、自らの臣民に対して外国兵を差し向ける行為こそが、王の専制と暴虐を示す決定的な証拠であるとして強く非難されました。この言葉には、当時の人々にとって独立という選択がいかに切実なものであったかが込められているのです。