南アメリカの歴史

アンドレス・アヴェリーノ・カセレス――「アンデスの魔術師」と呼ばれた不屈の元帥

ペルーの英雄アンドレス・アヴェリーノ・カセレス元帥の生涯と、あまり知られていない軍人としての側面をまとめた書籍が、国防省とテレフォニカ財団の共同で出版されました。「アンデスの魔術師(El Brujo de los Andes)」の異名を持つ彼の壮絶な足跡をたどる一冊です。

ミラフローレスの戦い――銃弾をも恐れぬ勇姿

1881年1月、リマ防衛戦として知られるミラフローレスの戦い。カセレス大佐が第1堡塁前の平原で銃剣を装着したとき、戦闘はすでに1時間以上前に始まっていました。ハウハ大隊を率いていた彼は、銃撃により大腿骨を骨折します。それでも、この勇敢なアヤクチョ出身の軍人はひるむことなく、最初の衝突の後すぐに部隊を再編成し、再び国民の壕から無人の地へと踏み出しました。

パウカルパタ隊とコンセプシオン隊は、ペドロ・ラゴス指揮下のチリ第3師団の兵士たちと鋼鉄を交えて白兵戦を展開。当時の太陽は午後3時を示していました。鉛を1オンスも込めた南軍の弾丸は、ペルー軍指ペルー軍指揮官の胸を執拗に狙い続けました。ついにその1発が、英雄が顔に密着させて持っていた望遠鏡に激突したのです。副官たちは彼が死んだと考えましたが、この指導者を倒すには1発以上の弾丸が必要でした。

正規軍に加わりリマの門前で敵に立ち向かった市民兵たちは、その犠牲の大きさを目の当たりにし、次々と戦いの渦中へと身を投げていきました。第2大隊に集った彼らは、市内の商人や会社員、イタリア系移民、そしてグアダルーペ学校の学生たちでした。カセレス大佐の指揮の下、彼らはクルップ砲4門を奪取するという偉業を成し遂げます。しかし、それでも戦況を覆すには十分ではありませんでした。

アンドレス・アヴェリーノ・カセレス――「アンデスの魔術師」と呼ばれた不屈の元帥

「ついに堡塁は銃剣によって攻略された。そこは死体で埋め尽くされていた。不幸な10代の若者たち、大半は商社の従業員、名士たち、そして学生たちの遺体だった」――ペルー陸軍史常設委員会が編纂した書籍『カセレス』に収められたクレメンテ・マーカムの文章は、戦闘の最期の瞬間をこう記しています。

貴重な資料と写真で綴る全伝

軍事史愛好家はもちろん、ペルー史全体に関心を持つ読者にとって、本書は太平洋戦争後に共和国大統領を務めた人物の生涯を網羅した貴重な出版物です。「より困難で苦痛に満ちた闘いが今始まった。それは災禍の後遺症を克服するための闘いである」――1887年10月30日、国家再建の時代が幕を開けようとしていたときのカセレス・ドレガライの言葉が本書に刻まれています。

国防省およびテレフォニカ財団との協力により制作された本書は、この軍指導者の知られざる側面を掘り起こすとともに、戦乱期の数多くの写真を掲載。挿絵や絵画と組み合わせることで、読者は英雄が歴史の表舞台で活躍したまさにその瞬間へと誘われます。

ブレーニャ戦役――「アンデスの魔術師」の誕生

特筆すべきはブレーニャ戦役を扱った章です。カセレス大佐はこの戦役で、わずか数時間の間隔で連続して行われた戦闘において、彼を追跡する遠征軍を次々と撃破し、「アンデスの魔術師」の異名を得ました。マルカバジェ、プカラ、コンセプシオンの戦い。そしてその偉業は、すべての抵抗が終焉したワマチュコの戦いで幕を閉じます。

本書は、カセレスとその部隊が移動した土地や町、村を丹念に辿り、占領軍を追い詰めていった様子を描き出すとともに、各地域に関する貴重なデータや、個人所蔵の資料から救い出された写真まで提供しています。これらの資料は、軍人から政治家への転身を追う手がかりにもなっています。第一次政権(1886~1890年)では、いわゆる第二軍政と呼ばれる時代の一角として憲政党を結成。さらに、太平洋戦争中に彼の直属の上官であったニコラス・デ・ピエロラと対立した内戦の歴史についても言及されています。

アンドレス・アヴェリーノ・カセレス――「アンデスの魔術師」と呼ばれた不屈の元帥

元帥アンドレス・アヴェリーノ・カセレス――基本データ

元帥の階級は、アウグスト・B・レギーア大統領によって授与されました。独立建国者協会には、その授与の瞬間を捉えたモザイク画が残されています。実は同協会の館は、レギーアが彼の功績に報いるためにカセレスへ贈る予定だった邸宅でしたが、完成を見ることなく彼はこの世を去ったのです。

出典:『アンデスの魔術師』関連書籍
国防省・テレフォニカ財団 刊行