南アメリカの歴史

ブラジルの民主主義とは?中断と回復の歴史を徹底解説

ブラジルにおける民主主義は、いまだ国家全体へ行き渡った政治体制であるとは言えない状況にあります。独立後のブラジルの歴史において、民主主義の確立は幾度となく中断されてきました。その代表例が、エスタード・ノーヴォ(新国家体制、1937〜1945年)と軍事独裁政権(1964〜1985年)の時代です。

ブラジル民主主義の歴史概観

第一共和政(旧共和政)

「第一共和政」あるいは「旧共和政」と呼ばれる時期には、厳密な意味での民主主義は存在しなかったと考えられます。選挙権は男性に限定され、有権者は各地域の「コロネル(大佐)」と呼ばれる地主ボスが指名した候補者にしか投票できませんでした。このような支配的な投票慣行は「カブレスト投票(首輪投票)」として知られています。

ヴァルガス時代

ジェトゥリオ・ヴァルガスが1930年の革命によって権力を握ると、選挙や政党活動が停止され、ブラジルの民主主義は再び大きな打撃を受けます。

世論の圧力を受けて、ヴァルガスは1934年に憲法の公布を余儀なくされますが、この憲法の寿命はわずか3年でした。その後エスタード・ノーヴォが始まると、民主的な諸保障は停止されることになります。

民主主義が復活するのは1945年、ヴァルガスが失脚し、エウリコ・ガスパル・ドゥトラ将軍が選出されてからのことです。

民主主義の間奏期

1946年に成立した新共和国は、ブラジルにおける民主主義の復活と位置づけられ、この体制は1964年まで続きました。

しかし再び、ブラジルの民主主義は軍事クーデターによって断絶し、その後20年以上に及ぶ独裁政権が続くことになります。

ブラジルにおける民主主義の回復

20年に及ぶ軍事独裁政権の末期、ブラジルは経済的・社会的・政治的な危機に直面していました。この時代に終止符を打つためには、権利の自由と社会的平等を保障する新しい憲法が必要とされていました。

こうして1984年、大統領を直接選挙で選ぶことを求める「ダレタス・ジャ(Diretas Já/今すぐ直接選挙を)」運動とともに、民主化のプロセスが始動します。

しかしながら直接選挙法は成立せず、軍事独裁後の最初の大統領は選挙人団による間接選挙で選ばれました。当選したタンシレド・ネベスは就任前に急逝したため、副大統領のジョゼ・サルネイが大統領職を継ぎました。

それでもサルネイ政権下で憲法議会が招集され、1988年憲法(通称「市民憲法」)が起草されました。

そして1989年、ついに国民が直接選挙によって大統領を選べるようになり、フェルナンド・コロール・デ・メロが当選します。

ところがコロールは汚職や金融不正の事件への関与が発覚し、1992年に弾劾(インピーチメント)されて大統領職を追われます。後任には副大統領のイタマール・フランコが就きました。

1995年にはフェルナンド・エンリッケ・カルドーゾ(FHC)が政権を担い、新自由主義的な政策を通じて社会民主主義の路線を推進しました。FHCは任期を全うすることに成功しています。

2003年以降は労働者党(PT)が政権を掌握します。ルイス・イナシオ・ルラ・ダ・シウバが2003年から2010年まで統治し、続いて同じ党に所属するジルマ・ルセフが2011年に当選、2016年半ばまで政権を担当しました。

2016年、大統領の運営に不満を持つ一部の政党が退陣工作を進め、行政上の不正(予算の会計操作)を理由に弾劾手続きが開始され、最終的にルセフは罷免されました。

このように振り返ると、ブラジルの民主主義は絶えず中断されてきた歴史を持つことが分かります。さらに、社会的不平等といった社会問題や、汚職といった政治問題も依然として未解決のままです。

そうした意味で、ブラジルの民主主義は今もなお構築の途上にあると言えるでしょう。

関連トピック

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