イタマール・フランコ(Itamar Franco)は、エンジニア出身のブラジルの政治家で、ジュイス・デ・フォーラ市長、連邦上院議員、ミナスジェライス州知事を歴任し、最終的にブラジル第33代大統領(1992年〜1994年)に就任しました。その主な功績として知られるのは、約30年間にわたりブラジルを苦しめたハイパーインフレーションの収拾への貢献、そして州知事時代に実現したミナスジェライス州の債務整理です。
経歴・生い立ち
イタマール・アウグスト・カウティエロ・フランコ(Itamar Augusto Cautiero Franco)は、1930年6月28日、夫を最近亡くした母親がリオデジャネイロからサルバドルへ向かう船旅の途中で生まれました。このため、出生登録はバイーア州の州都サルバドルで行われています。
父はアウグスト・セザール・シュティーブラー・フランコ、母はイタリア・アメリカ・ディ・ルッカ・カウティエロ。イタマールはミナスジェライス州ジュイス・デ・フォーラで育ち、同地のジュイス・デ・フォーラ工科大学で土木工学と電気工学を学びました。
政界入り
1958年、イタマール・フランコはブラジル労働党(PTB)に入党します。しかし、最初の政治的な勝利は軍政期にもたらされました。ブラジル民主運動(MDB)に参加し、1967年にジュイス・デ・フォーラ市長に当選、1972年には再選を果たしています。1975年に市長職を辞任すると、ミナスジェライス州選出の連邦上院議員選挙に立候補し、見事当選しました。
1976年と1977年にはMDBの副院内総務に選出され、1980年に複数政党制が復活すると、ブラジル民主運動党(PMDB)に移り、1982年に上院議員として当選しています。
1986年には自由党(PL)に入党し、1988年まで在籍。その後、国民再建党(PRN)へ移ると、アラゴアス州知事だったフェルナンド・コロール・デ・メロと組み、大統領選挙で成功を収めることになります。
イタマール・フランコ政権
1990年3月15日、コロールが大統領に、イタマール・フランコが副大統領に就任しました。政権発足時のブラジルは景気後退の真っただ中で、失業率は高く、インフレーションも極めて深刻でした。1992年にはインフレ率が1100%に達し、この頃イタマールはPMDBに復党し、コロール大統領を公然と批判するようになります。その後、汚職疑惑により大統領の弾劾手続きが進められました。
こうして1992年10月、イタマール・アウグスト・カウティエロ・フランコが共和国大統領に就任します。幅広い政党からの支持を背景に、大規模な改革を実施できる環境が整いました。1993年4月には、ブラジルの統治形態を選択する国民投票を実施し、その結果、共和制(66%)と大統領制(55%)が選ばれています。
経済改革は、フェルナンド・エンリッケ・カルドゾを財務大臣に起用したことから本格化しました。彼は経済安定化計画(レアルプラン)を作成した専門家チームを率います。1994年3月1日、インフレ抑制と新通貨「レアル(R$)」導入への道を開くため、価値基準単位(URV)が導入されました。この計画は大きな成功を収め、同年10月の大統領選挙でのカルドゾ当選を決定づけたのです。
大統領退任後の歩み
1995年から1996年にかけては、ブラジル駐ポルトガル大使を務めました。その2年後の1998年には、PMDBからミナスジェライス州知事に当選しています。さらに2002年には、今度は駐イタリア大使として再び外交の舞台に立ちました。
2007年にはミナスジェライス州開発銀行(BDMG)の取締役会会長に就任。2009年には人民社会党(PPS)に入党し、2010年に再びミナスジェライス州選出の上院議員として当選を果たしました。
しかしその後まもなく白血病と診断され、2011年7月2日、脳卒中のためこの世を去りました。遺体は火葬され、遺灰は故郷ジュイス・デ・フォーラにある一族の墓に納められています。
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