「このアズトラン戦争を含め、メキシコは何度テキサスに侵攻したのだろうか」という疑問について、まず結論からお伝えします。歴史上、「アズトラン戦争」と呼ばれる戦争は確認されていません。また、「メキシコは一度もテキサスへ侵攻したことがない」という説明も、厳密には正確ではありません。ここでは、用語の由来と考えられる背景に触れながら、メキシコとテキサスの間で実際に起きた武力衝突の歴史を整理して解説します。
「アズトラン戦争」という戦争は存在するのか
史料や歴史学の研究において、「アズトラン戦争」という名称の戦争は記録されていません。
「アズトラン(Aztlán)」とは、アステカ人が北方にあると信じていた伝説上の故郷を指す言葉です。20世紀後半には、米国南西部をメキシコ系住民の文化的な故郷と捉えるチカーノ運動の中で、象徴的な概念として引用されることもありましたが、いずれも特定の軍事衝突を指すものではありません。ご質問の前提となっている「アズトラン戦争」は、誤情報や混同に基づいている可能性が高いといえます。
メキシコとテキサスの間で実際に起きた武力衝突
「侵攻」という言葉を使うかどうかは別として、メキシコとテキサスの間には歴史上、少なくとも次のような重大な武力衝突が記録されています。
テキサス独立戦争(1835年〜1836年)
メキシコからの独立を目指すテキサスの入植者たちとメキシコ軍との間で戦われた戦争です。1836年のアラモ砦の攻防戦やゴリアドでの処刑事件は有名ですが、最終的にサンジャシントの戦いでテキサス軍が勝利し、テキサス共和国として独立を果たしました。
米墨戦争(1846年〜1848年)
テキサスの米国への併合をめぐる国境問題などを発端に、米国とメキシコが全面衝突した戦争です。メキシコ側は失った北部領域の奪還を試みましたが敗北し、1848年のグアダルーペ・イダルゴ条約によって、カリフォルニアやニューメキシコなど広大な領土を米国に割譲することになりました。
その後の国境越えの武力行動
両国の関係が安定した後も、1916年には革命指導者パンチョ・ビリャが米国領内の町コロンバスを襲撃する事件が発生し、米国はペルシング将軍率いる懲罰遠征隊をメキシコ領内に派遣しています。このように、国境を越えた武力行使自体は歴史上複数回起こっています。
まとめ
「アズトラン戦争」という名称の戦争は歴史上存在せず、ご質問の前提には誤りが含まれている可能性があります。ただし、メキシコとテキサスの関係は決して平穏だったわけではなく、テキサス独立戦争や米墨戦争といった大規模な武力衝突の歩みがあります。もし特定の時代や出来事について知りたい場合は、具体的な文脈を教えていただければ、より正確な情報をご案内できます。