ピケット将軍はウェストポイントの「1846年組」
アメリカ南北戦争で南軍(アメリカ連合国軍)の将軍として名を馳せたジョージ・エドワード・ピケット(George Edward Pickett、1825〜1875年)は、ニューヨーク州にあるアメリカ陸軍士官学校、通称ウェストポイントを1846年に卒業しました。つまり、彼は「1846年組(Class of 1846)」の士官候補生だったのです。
なお、ピケットが在学わずか1年で1834年に退学したとする記述を目にすることがありますが、これは誤りです。彼は1825年生まれであり、1834年時点ではまだ子どもでした。ピケットは正規の課程を修めて卒業した士官です。
学年最下位での卒業
ピケットのウェストポイント時代で特筆すべきは、その成績です。彼は同学年59名中、なんと最下位の59番目で卒業しました。学業成績こそ振るいませんでしたが、明るく社交的な人柄で多くの友人に恵まれ、軍人としての素質は高く評価されていたと伝えられています。
後の南北戦争で敵味方となった同期たち
1846年組は、後の歴史を大きく左右する人材を多数輩出したことでも有名です。同じ学年には、北軍総司令官となるジョージ・マクレランや、「ストーンウォール」の異名を持つトーマス・J・ジャクソン、A・P・ヒルなど、後に南北戦争で活躍する将官たちが名を連ねていました。ピケット自身も、かつて机を並べた同期生たちと戦場で対峙することになったのです。
卒業後の経歴と「ピケットチャージ」
卒業後、ピケットは米墨戦争に従軍し、その後も各地の辺境勤務を経て軍歴を積みました。南北戦争が勃発すると、バージニア州出身であることから南軍に加わり、1862年には少将に昇進しています。
そして彼の名を一躍有名にしたのが、1863年7月3日のゲティスバーグの戦いにおける突撃作戦、いわゆる「ピケットチャージ(Pickett's Charge)」です。約12,000人の兵を率いて北軍の中央陣地への正面突撃を指揮しましたが、壊滅的な損害を受けて失敗に終わり、この戦いは南北戦争の大きな転換点となりました。
まとめ
ジョージ・エドワード・ピケット将軍はウェストポイントの中退者ではなく、1846年に同校を卒業した正規の卒業生です。成績は学年最下位ながら、ゲティスバーグでの悲劇的な突撃によって、その名はアメリカ史に深く刻まれることになりました。