1830年5月28日、アンドリュー・ジャクソン大統領の任期中に、アメリカ合衆国議会によって「インディアン移住法(Indian Removal Act of 1830)」、通称「人種差別・再定住法」が可決されました。この法律は、大統領に対して、アメリカ東部に居住するネイティブ・アメリカン(先住民)諸部族と交渉し、彼らの土地を西部の土地と交換する権限を与えるものでした。その結果、大多数のネイティブ・アメリカンは、現在のオクラホマ州にあたる「インディアン準州」への移住を余儀なくされることになりました。
ジャクソン政権の先住民移住政策
インディアン移住法は、ジャクソン政権が推進したより広範な先住民移住政策の一環でした。ジャクソンは、ネイティブ・アメリカンが合衆国の拡張の妨げになっており、白人入植者のために土地を明け渡すべきだと考えていました。この法律は特に、「文明化五部族」と呼ばれるチェロキー族、チカソー族、チョクトー族、クリーク族、セミノール族を主な対象としていました。
激しい抵抗と武力紛争
インディアン移住法は当時から非常に物議を醸し、ネイティブ・アメリカンと合衆国政府との間で数多くの紛争を引き起こしました。中でも最も著名なのが、1835年から1842年まで続いた第二次セミノール戦争です。この戦争により、数千人のネイティブ・アメリカンが命を落とし、さらに多くの人々が捕らえられて奴隷化されるという悲劇が起こりました。
「涙の道(トレイル・オブ・ティアーズ)」
こうした反対にもかかわらず、インディアン移住法は最終的にその目的を達成しました。1838年までに10万人以上のネイティブ・アメリカンがインディアン準州へ移住させられました。西へ向かうこの過酷な旅路は「涙の道(Trail of Tears)」として知られており、多くの先住民にとって耐え難い苦痛の経験となりました。厳しい寒さや病気、飢えにさらされ、数千人がこの道中で命を落としたのです。
インディアン移住法がもたらした壊滅的な影響
インディアン移住法は、ネイティブ・アメリカンの各部族に計り知れない被害をもたらしました。彼らは代々受け継いできた祖先の土地と伝統的な生活様式を失い、多くの同胞の命も奪われました。さらに、この法律はその後の合衆国政府による先住民の扱いの前例となり、長きにわたる差別と抑圧の歴史の起点となった点でも、アメリカ史における重大な転換点とされています。