南アメリカの歴史

ボストン虐殺事件は、入植者にオハイオ渓谷からの撤退を命じたのか?

この説は誤りです

ボストン虐殺事件が、すべての入植者に対してオハイオ渓谷を離れ、既存の植民地へ戻るよう命じたという説は、誤りです。

ボストン虐殺事件とは何か

ボストン虐殺事件は、1770年3月5日にマサチューセッツ州ボストンで発生した歴史的な事件です。当時ボストンに駐留していたイギリス兵と現地のアメリカ植民地人の間で緊張が高まり、ついに衝突が勃発しました。この騒乱の結果、植民地人5名が死亡しています。

この事件は、イギリス本国の支配に対する植民地人の反発を一層強めるきっかけとなり、やがてアメリカ独立戦争へとつながる重要な転換点の一つとされています。

オハイオ渓谷との関係について

ボストン虐殺事件は、入植者にオハイオ渓谷を離れるよう命じたこととは一切関係ありません。

なお、入植者の西部への移住を制限した歴史上の出来事としては、1763年に発布された「1763年王立宣言」が挙げられます。これはアパラチア山脈以西(オハイオ渓谷を含む地域)への入植を禁止するものであり、ボストン虐殺事件と混同されやすい点に注意が必要です。