南アメリカの歴史

ルーズベルト・コラリーとは?米国がラテンアメリカ介入を正当化した経緯

モンロー主義に加えられた「ルーズベルト・コラリー」とは

1904年、セオドア・ルーズベルト大統領は、それまで米国対外政策の基本とされてきたモンロー・ドクトリン(モンロー主義)に対して、重大な修正を加えました。これが「ルーズベルト・コラリー(ルーズベルト追補)」と呼ばれるもので、彼のラテンアメリカ政策の中核をなす考え方でした。

この追補において、米国政府はラテンアメリカ地域の安定を維持し、アメリカ合衆国の利益を保護するためであれば、ラテンアメリカ諸国の内政に介入することができるのみならず、介入すべきであると明言しました。それまでのモンロー主義が欧州列強の干渉を拒否する消極的な原則だったのに対し、ルーズベルト・コラリーは米国自身が積極的に関与することを正当化する、大きく踏み込んだ解釈でした。

ルーズベルト自身による正当化の説明

ルーズベルトがこの追補を発表した際、彼はモンロー・ドクトリンの適用範囲を拡張するものだと説明しました。その対象となるのは、「慢性的な不正行為」や、それによってもたらされる「文明社会の結びつき全般の緩みにつながる無能力状態」という脅威です。

そして彼は次のように述べています。

「これは端的に言えば、必要とあらば文明の代表として、アメリカが介入するということである。」

この政策がもたらした影響

ルーズベルト・コラリーに基づき、米国は実際にカリブ海地域や中央アメリカ諸国へ繰り返し軍事介入・政治介入を行うようになりました。ドミニカ共和国の関税管理、キューバやパナマへの関与など、その後数十年にわたる米国の「警察権力」としての振る舞いは、この追補を理論的根拠としていました。一方で、こうした介入はラテンアメリカ諸国の反発を招き、後の米州関係に長く影を落とすこととなりました。