南アメリカの歴史

アメリカ最初の13植民地の奴隷は黒人でなければならなかったのか?歴史的事実を解説

結論:奴隷は黒人でなければならないという規定は存在しなかった

アメリカ独立以前のイギリス領13植民地において、奴隷は必ずしも黒人でなければならないという法的な要件は存在しませんでした。奴隷制度そのものに人種を限定する規定があったわけではなく、実際にはヨーロッパ系や先住民(ネイティブ・アメリカン)の出身者である奴隷も存在していました。

17世紀に始まった北米植民地の奴隷制

北米における奴隷制は17世紀に始まりました。1619年に現在のバージニア州ジェームズタウンへアフリカ人が連れてこられたことが、英領北米における奴隷制の出発点として広く知られています。ただしこの時期の彼らの多くは、必ずしも終身の奴隷としてではなく、一定期間の労働後に解放される「年季奉公人(インデンチュアード・サーヴァント)」として扱われるケースも少なくありませんでした。

多様な出自を持つ強制労働者たち

やがてアフリカから連れてこられた人々が奴隷人口の大多数を占めるようになりましたが、初期の植民地社会には以下のような人々も含まれていました。

  • ヨーロッパ系の年季奉公人:貧困、犯罪、さらには誘拐などを理由に新大陸へ送られ、契約期間中は事実上の強制労働を課されることがありました。
  • 先住民の奴隷:戦争や略奪の結果として先住民が奴隷化される例もあり、特に南部のカロライナ地方などで見られました。

それでもなぜ「黒人の奴隷制」になっていったのか

17世紀後半から18世紀にかけて、各植民地は次第に人種に基づく奴隷法制を整備していきました。バージニアやメリーランドでは、母親の身分が子に引き継がれることや、キリスト教への改宗によって自由になれないことなどが法律として定められました。こうした法整備が進むにつれ、奴隷制はアフリカ系の人々を対象とした世襲的かつ終身の制度へと固定化していったのです。

つまり「奴隷は黒人でなければならなかった」のではなく、プランテーション経営に必要な大量の労働力という経済的要因、逃亡や識別の容易さといった事情、そして差別的な法整備が積み重なる中で、奴隷制が黒人と結び付けられていったのが実態です。

まとめ

当初の13植民地における奴隷は、人種的に限定された存在ではありませんでした。しかしその後、法律と社会的慣行が人種差別的な形で発展した結果、奴隷制はほぼ完全にアフリカ系の人々に対する制度となっていきました。