南アメリカの歴史

アンドリュー・ジョンソン大統領の再建計画に対し、南部はどのような反応を示したのか?

1865年、ジョンソン大統領の再建計画と南部の反応

1865年、アンドリュー・ジョンソン大統領が南北戦争後の再建(レコンストラクション)計画を発表すると、南部諸州ではさまざまな形の抵抗が生まれました。その中心となったのが、ブラックコード(黒人法典)の制定、クー・クラックス・クラン(KKK)の台頭、そして憲法修正条項の無効化の試みです。

1. ブラックコード(黒人法典)の制定

南部諸州の最初の対応の一つが、アフリカ系アメリカ人の市民権を制限する「ブラックコード」と呼ばれる法律群の制定でした。これらの法律は、奴隷解放によって新たに得た自由の行使を妨げることを目的としていました。

代表的な例として、「浮浪者取締法」はアフリカ系アメリカ人が職を持たずにいること自体を違法とするものでした。また、小作制度は黒人農民を借財と依存の状態に縛り付け、経済的な自立を阻む仕組みとして機能しました。

2. クー・クラックス・クラン(KKK)の台頭

もう一つの重大な反応が、白人至上主義団体であるクー・クラックス・クラン(KKK)の台頭です。同団体は暴力と脅迫によってアフリカ系アメリカ人を恐怖に陥れ、新たに保障された権利の行使を妨害しました。

KKKは、投票権の行使、土地の所有、公職への就任を試みる黒人を特に標的としました。さらに深刻なことに、こうした暴力的行為に対して、地元の法執行機関はほとんど、あるいはまったく取り締まりを行わないことが少なくありませんでした。

3. 憲法修正第14条・第15条の無効化の試み

加えて、南部諸州はアフリカ系アメリカ人の市民権を保障する憲法修正第14条、および投票権を保障する第15条を無効化しようと試みました。南部側は、これらの修正条項は違憲であり、個々の州の権利を侵害するものであると主張したのです。

まとめ

ジョンソン大統領の再建計画に対する南部の反応は、ブラックコードの実施、KKKの台頭、そして憲法修正第14条・第15条の無効化の試みという形で現れました。これらはすべて、南北戦争と奴隷解放がもたらした社会変革に対する南部の抵抗の表れだと言えるでしょう。