南アメリカの歴史

第二次世界大戦中のアメリカで配給されたものとは?食料・燃料・ゴムなど徹底解説

第二次世界大戦中(1941年〜1945年)、アメリカ政府は戦争に必要な資源を軍隊に優先的に供給するため、民間向けにさまざまな物資の配給(rationing)を実施しました。価格管理局(OPA)が中心となって制度を運用し、国民は「配給券」や「配給手帳」を使わなければ商品を購入できない仕組みでした。

食料品

砂糖は1942年に最初に配給対象となった食品で、その後もコーヒー、紅茶、肉類、バター、マーガリン、チーズ、卵、牛乳、缶詰などが時期に応じて配給されました。家庭では配給切符を切り取って店に提出する必要があり、人気のある肉は早朝に売り切れることも珍しくありませんでした。こうした中、自宅の庭で野菜を育てる「勝利菜園(Victory Garden)」が全国的なブームとなりました。

燃料

ガソリン、暖房用の灯油、ケロシンも配給の対象でした。ガソリンについては車の用途に応じてA・B・Cなどのステッカー区分が設けられ、一般ドライバーは週に数ガロンしか購入できませんでした。また、タイヤと燃料を節約するため、時速35マイル(約56km)の速度制限「ビクトリー・スピード」が推奨されました。

タイヤ

タイヤは1942年1月、アメリカで最初に配給された品目です。天然ゴムの供給が東南アジアからの輸入途絶によって断たれたため、民生用・軍用ともに厳しく制限されました。タイヤの購入には、業務上どうしても必要であることの証明が求められました。

衣料品

靴やブーツをはじめとする皮革製品も配給の対象となりました。革は軍用のブーツや装備に回されるため、市民は靴の購入枚数に上限が設けられ、修理して長く使うことが奨励されました。衣料にも素材の節約のためデザイン上の制限が課されました。

ゴム

ゴムはタイヤ、ブーツ、ホースなど幅広い製品に使われる重要な資材であり、徹底的に配給されました。国民は使用済みのゴム製品を回収に提供し、リサイクルに協力しました。この危機が、後に合成ゴム産業の急速な発展につながったとも言われています。

金属

鉄鋼、銅、アルミニウムなどの金属は兵器や軍需品の生産に優先的に振り向けられました。アルミニウムは飛行機の製造に不可欠だったため、家庭では鍋やフライパンを供出することさえ求められました。自動車メーカーは民間車の生産を停止し、軍用車両や航空機の製造へと転換しました。

まとめ

第二次世界大戦中のアメリカにおける配給は、食料から燃料、ゴム、金属に至るまで生活のあらゆる場面に及びました。「勝利のための我慢」というスローガンの下、国民は配給制度を受け入れ、戦争遂行を支える一翼を担いました。この経験は、戦後の消費社会や資源管理のあり方にも大きな影響を残しました。