「ヴァスコ・ダ・ガマはカリカットへの最初の航海で何も得られずに帰国した」という話を目にすることがありますが、これは誤解です。歴史的事実として、ダ・ガマは1498年にインドのカリカットに到達し、1499年にポルトガルへ帰国した際、香辛料や宝石などの貴重な品々を積んだ船団とともに戻っています。
ダ・ガマが持ち帰ったもの
ダ・ガマの船団がポルトガルに持ち帰った主な品物は次のとおりです。
- 胡椒(コショウ)やシナモンなどの香辛料
- 宝石などの高価値商品
- その他の貴重な交易品
当時のヨーロッパでは、香辛料は金に匹敵するほど珍重されていました。ダ・ガマが持ち帰った香辛料による利益は、航海にかかった費用を大幅に上回ったと伝えられています。
なぜ「手ぶらで帰った」という誤解が生まれたのか
この誤解の背景には、いくつかの要因が関係していると考えられます。
1. 持ち込んだ交易品が現地で評価されなかった
ダ・ガマがカリカットにもたらした毛織物や帽子、ビーズなどの品物は、インド市場では質が低いと見なされ、ほとんど売れませんでした。そのため、大量の香辛料を購入する資金を十分に確保できず、取引は思うように進みませんでした。
2. ザモリンへの贈り物が軽んじられた
カリカットの支配者(ザモリン)に贈った品々は、その価値の低さゆえに「辺境の貧しい国からの使節」として受け取られたといわれています。これにより、友好関係の構築は難航しました。
3. 正式な通商協定を結べなかった
ダ・ガマはカリカットに恒久的な交易拠点を設けたり、有利な通商条約を締結したりすることには失敗し、紆余曲折の末に港を後にしました。この点から「実りある成果なく帰国した」と受け取られることがあるのです。
それでも最初の航海が残した歴史的意義
商業取引の規模こそ限定的だったものの、ダ・ガマの最初の航海(1497年〜1499年)は、ヨーロッパとアジアを直接結ぶ海上航路を初めて切り開いた偉業です。この航路の発見により、中東の仲介商人を経由せずにアジアの香辛料を入手できるようになり、後のポルトガルのアジア進出や大航海時代の発展の礎となりました。
つまり、ダ・ガマは決して手ぶらで帰国したわけではなく、むしろ歴史を変える最大の「戦利品」――インドへ至る航路の知識と、その実利性の証明――を携えて帰ったのだと言えるでしょう。