ジョン・ブラウン(John Brown)は、北軍(Union)と南軍(Confederacy)のいずれか一方のために戦った人物ではありません。彼が生涯を捧げたのは、奴隷制度廃止運動(abolitionist cause)という、より大きな理念でした。
南北戦争以前に亡くなった男
よくある誤解ですが、ジョン・ブラウンはアメリカ南北戦争(1861年〜1865年)そのものには参加していません。なぜなら、彼は1859年12月2日、バージニア州チャールズタウンで絞首刑に処されたからです。南北戦争が始まったのは、それから約1年半後の1861年4月のことでした。
つまり、ブラウンは「北のため」でも「南のため」でもなく、あくまで奴隷制そのものに反対するために戦ったのです。
ハーパーズ・フェリー襲撃事件
ブラウンが歴史に名を刻むことになったのが、1859年10月16日のハーパーズ・フェリー襲撃事件です。彼は少数の同志とともにバージニア州(現在はウェストバージニア州)の武器庫を占拠し、そこから武器を奪って奴隷たちに武装蜂起を呼びかける計画を立てました。
しかし計画は失敗し、ブラウンはロバート・E・リー大佐率いる部隊によって逮捕され、反逆罪などの容疑で裁判にかけられた末、死刑判決を受けました。
死後も残り続けた影響力
皮肉なことに、ブラウンの処刑は奴隷制度廃止運動に大きな火をつけました。北部では彼は殉教者として称えられ、「John Brown's Body(ジョン・ブラウンの遺体)」という歌はやがて北軍の行進曲として広く歌われるようになりました。
一方で南部では、彼の襲撃は奴隷反乱への恐怖を煽り、南北の対立をさらに深める要因の一つとなりました。
まとめ
ジョン・ブラウンは北軍にも南軍にも属さず、奴隷制度の廃止という理想のために戦い、命を捧げた人物です。彼の死は南北戦争の前奏となり、アメリカの歴史における奴隷制問題の象徴的存在として今も語り継がれています。