アメリカ南北戦争の終盤、北軍のウィリアム・テカムセ・シャーマン将軍は、解放された黒人奴隷(フリードマン)に土地を与えるという歴史的な措置を実施しました。これが「特別野戦命令第15号(Special Field Orders No. 15)」であり、後に「40エーカーとラバ」と呼ばれる約束の起源となりました。
特別野戦命令第15号の内容
1865年1月に発布されたこの命令では、サウスカロライナ州チャールストンからフロリダ州ジャクソンヴィルまでの大西洋沿岸地域(シーアイランズ諸島を含む)にある、放棄または没収対象となった土地を接収し、解放奴隷の家族ごとに最大40エーカー程度の区画として分配することが定められました。戦争によって家も財産も失った元奴隷たちにとって、自ら耕せる土地の獲得は自由と自立への第一歩となるものでした。
ジョンソン大統領による撤回
しかしこの措置は長く続きませんでした。1865年、リンカーン大統領暗殺後に就任したアンドリュー・ジョンソン大統領は、恩赦を受けた旧南軍支持者へ没収土地を返還する方針を打ち出し、この土地分配を事実上取り消しました。戦後の「大統領再建(Presidential Reconstruction)」の下では、1866年の南部ホームステッド法などを通じて一部の解放奴隷が公有地を取得できる道も残されましたが、その規模は限定的で、大多数の元奴隷にとって土地所有の夢は絶たれることになりました。
南部人が反対した理由
多くの白人南部人、とりわけプランテーション経営者たちは、この政策に強く反対しました。主な理由は次の通りです。
- 私有財産の侵害: 沿岸部の土地の多くは彼ら自身の財産であり、戦時中に一時的に離れただけの土地を永久に没収することは憲法違反だと主張しました。
- 経済的基盤の脅威: 南部経済は綿花などを中心とするプランテーション農業に依存しており、労働力である元奴隷が独立した農民になることは、彼らの経済的支配を揺るがすものでした。
- 社会秩序への不安: 元奴隷が自給自足できる存在になることは、従来の人種的・社会的ヒエラルキーの崩壊につながると恐れられました。
こうした抵抗により、解放奴隷への本格的な土地分配は実現しませんでした。多くの元奴隷は小作農(シェアクロッパー)として大地主に従属する形で働くことを余儀なくされ、「40エーカーとラバ」の約束が果たされなかったことは、再建期における最大の機会損失の一つとして、今日でもしばしば論じられています。