1920年代のアメリカ合衆国は、ナティヴィズム(nativism、自国民優先主義)に基づく移民政策を実施しました。その核心となったのが「国別割当制度(クォータ制)」です。この制度により、北欧・西欧諸国出身の移民には有利な受け入れ枠が与えられる一方、東欧・南欧、アジア、アフリカからの移民は厳しく制限されました。
国別割当制度(クォータ制)とは
割当制度とは、各国ごとに年間の移民受け入れ数に上限を設ける仕組みです。過去の国勢調査における各国出身者の在米人口比率をもとに移民枠が配分されたため、イギリス、ドイツ、アイルランド、スカンジナビア諸国など北欧・西欧出身者が移民の大部分を占める一方、イタリア、ポーランド、ロシア、ギリシャなど東欧・南欧からの移民は大幅に削減されました。
1921年「緊急移民割当法」
第一次世界大戦後の移民急増を受けて、1921年に緊急移民割当法(Emergency Quota Act)が成立しました。これにより、各国からの移民数は1910年の国勢調査に基づく在米人口の3%までに制限されました。
1924年「移民法(ジョンソン=リード法)」
さらに1924年には移民法(Immigration Act of 1924)、通称ジョンソン=リード法が制定されました。この法律は基準年を1890年に変更し、各国の割当を在米人口の2%へと引き下げました。また、アジア系移民については「帰化権を持たない外国人」として、事実上の入国禁止措置が講じられました。
政策の背景
こうした制限的な政策の背景には、第一次世界大戦後の経済不況や失業への不安、そして既存の白人プロテスタント系住民の間に広がる文化的・人種的な優越意識がありました。労働団体は移民による賃金低下を懸念し、世論全体も移民制限を支持する方向へと傾いていきました。
政策の影響
この一連の法律により、アメリカへの移民総数は劇的に減少しました。特に南欧・東欧からの移民は激減し、アジア系移民はほぼ完全に排除される結果となりました。この割当制度は、1965年の移民国籍法(ハート=セラー法)によって廃止されるまで、約40年間にわたりアメリカ移民政策の基本枠組みであり続けました。