レコンストラクション後、南部の人種関係は劇的に悪化した
アメリカ史において、レコンストラクション(南部再建)期の終了(1877年)以降の南部における地位や人種関係を最もよく表しているのは、「人種関係が劇的に悪化し、法的な人種隔離がすべての南部諸州において公式な社会・政治政策として確立された」という事実です。
ジム・クロウ法の台頭
レコンストラクション期には、連邦政府の主導のもと元奴隷たちに一定の政治的権利が与えられました。しかし、連邦軍の撤退とともに旧南部勢力が州政権を奪還すると、状況は急速に逆戻りしました。南部各州では「ジム・クロウ法」と呼ばれる一連の法律が次々と制定され、学校、公共交通機関、レストラン、公園など公共施設における白人と黒人の分離が法制化されました。
「分離すれども平等」の原則
1896年のプレッシー対ファーガソン判決において、合衆国最高裁判所は「分離すれども平等(separate but equal)」の原則を認めました。この判決により、実態としては不平等な人種差別的な分離政策に法的な正当性が与えられ、南部全域での隔離体制がさらに強固なものとなりました。
政治的権利の剥奪
さらに南部各州は、識字テスト、納税証明要件、祖父条項などの手段を用いて黒人市民の投票権を実質的に剥奪していきました。リンチや暴力的な抑圧も横行し、レコンストラクション期に獲得された権利は大きく後退しました。
まとめ
このように、レコンストラクション後の南部における人種関係を最もよく表しているのは、人種関係の劇的な悪化と、全南部州における法的な人種隔離の公式政策化です。この体制は20世紀半ばまで続き、公民権運動による1954年のブラウン対教育委員会判決や1964年公民権法によってようやく法的に終焉を迎えることとなります。