1812年にアメリカ合衆国がイギリスとの戦争(米英戦争)へ踏み出したとき、南部の人々の思いは一枚岩ではありませんでした。綿花貿易に深く関わる層は、大英帝国との経済的なつながりが断たれることを恐れて開戦に強く反対しました。一方で、ナショナリズムや領土拡張の志向を持つ人々は、北米における合衆国の領土と影響力を広げる好機として戦争を支持したのです。
開戦に反対したのは「綿花」で栄えた沿岸部
反対派の中核を担ったのは、綿花貿易が経済の柱となっていた比較的裕福な沿岸地域の人々でした。彼らは、イギリスとの戦争が綿花輸出の衰退を招き、ひいては南部全体を不況に陥らせると主張しました。
さらに懸念されたのが奴隷制の問題です。戦争が始まれば、カナダなどイギリス支配下の領土へ逃亡する奴隷の数が増えるのではないかという不安が、反対論に拍車をかけました。
開戦を支持したのは内陸の農村地帯
これに対して戦争支持派の多くは、綿花貿易への依存度が低い南部内陸の農村地域から声を上げた人々でした。彼らは次のように訴えました。
- イギリスによる海上での挑発に対抗し、合衆国の国家の名誉を守る必要がある
- 戦争は北米における領土拡大の絶好の機会となる
- 大英帝国の弱体化は、長期的に見て合衆国に大きな利益をもたらす
こうして「戦鹰派」と呼ばれる主戦論者が力を持ち、開戦への機運が高まっていきました。
戦争の結果 ― 恐れられたほどの悲劇にはならず
1812年、合衆国はついにイギリスへ宣戦布告します。しかし、戦争の行方は多くの南部人が恐れたような一方的な惨事にはなりませんでした。戦況は決着がつかないまま推移し、1815年に事実上の膠着状態(スタテールマイト)で終戦を迎えます。結果として、合衆国は新たな領土を手に入れることはできませんでした。
とはいえ、この戦争には重要な意義がありました。イギリスという大国と真正面から渡り合った経験は、合衆国の国民的アイデンティティを大きく強め、国内を団結させるきっかけとなったのです。「第二の独立戦争」とも呼ばれる所以がここにあります。