ミズーリ危機の概要
ミズーリ危機(1820〜21年の「ミズーリ妥協」としても知られる)は、ミズーリ準州が自由州として連邦に加盟するか、それとも奴隷州として加盟するかをめぐり、アメリカ合衆国の奴隷制容認派と廃止派が激しく対立した一連の政治的紛争です。この危機は1819年の恐慌と時期が重なり、国内全体に深刻な経済的混乱をもたらしました。以下では、その経緯を簡潔にまとめます。
背景
- ミズーリは、1803年にアメリカがフランスから取得した「ルイジアナ買収」地域の一部でした。
- 新たに連邦へ加盟する準州における奴隷制の是非は、すでに大きな争点となっており、上院では自由州と奴隷州の勢力がちょうど半々に分かれていました。ここにもう一つ奴隷州が加われば、この微妙な均衡が崩れる恐れがありました。
対立の経緯
- 1819年初頭、ミズーリが奴隷州としての加盟を申請したことで、議会に重大な政治的緊張が走りました。
- 下院はミズーリを自由州として加盟させる決議を可決した一方、上院は奴隷州としての加盟を支持し、両院の意見が真っ向から衝突しました。
- この不一致をきっかけに、北部と南部の議員の間で、奴隷制の拡大、州の権限、そして連邦の将来像をめぐる熾烈な論戦が展開されました。
妥協の成立
- 1820年、ケンタッキー州選出のヘンリー・クレイ上院議員が妥協案を提唱しました。その内容は、ミズーリを奴隷州として、メインを自由州として同時に加盟させ、上院の勢力均衡を維持するというものでした。
- さらにこの妥協には、有名な「北緯36度30分線」が盛り込まれました。これは、ミズーリ以北の残りのルイジアナ買収地域において、この線より北では奴隷制を禁止すると定めたものです。
- ミズーリ妥協は下院・上院ともに僅差で承認され、差し迫った国家の危機はひとまず回避されました。
歴史的意義
- ミズーリ危機は、奴隷制をめぐる南北間の深い亀裂を浮き彫りにし、その後数十年にかけてさらに拡大していく緊張関係を早くも露呈させました。
- 連邦分裂を防ぐための一時的な解決策としては機能しましたが、奴隷制という根本的な問題を解消することは最終的にできませんでした。
- この危機は地域間妥協の先例を確立し、南北戦争が勃発するまでの間、自由州と奴隷州の均衡を一時的に安定させる役割を果たしました。