南アメリカの歴史

国境地帯の奴隷は南部の奴隷より何年前に解放されたのか?

結論:法的には南部の奴隷と同時に解放された

南北戦争当時、メリーランド、デラウェア、ケンタッキー、ミズーリといった「国境地帯(ボーダー州)」では、連邦(北軍)側に留まりながらも奴隷制が維持されていました。これらの州の奴隷は、実は南部諸州の奴隷と同じく、1865年12月18日、合衆国憲法修正第13条が正式に批准された日をもって解放されました。

なぜ「早く解放された」と誤解されやすいのか

リンカーン大統領による奴隷解放宣言(1863年1月1日発効)は、連邦からの離脱を図った反乱州、すなわち南部同盟諸州の奴隷のみを解放の対象としていました。連邦に留まった国境地帯の奴隷は、この宣言の適用外だったのです。

その一方で、一部の国境地帯では戦争中から自主的に奴隷制廃止の動きが進んでいました。

  • メリーランド州:1864年11月、州憲法の改正により奴隷制を廃止
  • ミズーリ州:1865年1月に奴隷制を廃止

このため、「国境地帯の奴隷の方が先に解放された」という印象を持たれることがありますが、これは州ごとの個別措置によるものです。

憲法修正第13条による全国的な奴隷制廃止

最終的に、1865年12月18日に憲法修正第13条が批准されたことで、国境地帯か南部かを問わず、合衆国全土で奴隷制が違法となり、すべての奴隷が自由の身となりました。つまり、国境地帯の奴隷が南部の奴隷より数年も前に一斉に解放されたわけではなく、完全な解放という点では両者は同時に達成されたということです。