19世紀末から20世紀半ばにかけて、アメリカ南部諸州は「リテラシー・テスト(読み書き試験)」を投票資格の条件として導入しました。一見すると中立的な制度に見えますが、実際にはアフリカ系アメリカ人から投票権を奪うための強力な抑圧装置として機能しました。ただし、この制度が最後まで成功し続けたわけではありません。公民権運動の高まりを受けて1965年に成立した投票権法(Voting Rights Act)により停止され、1966年には連邦最高裁判所が、憲法修正第14条・第15条に反する差別的な慣行であるとしてこれを退けました。
読み書きテストはどのように機能したのか
白人登録官による恣意的な判定
テストの合否は、ほぼすべて白人で構成される選挙登録官の裁量に委ねられていました。白人申請者には簡単な質問や短い文章の音読だけで済ませる一方、黒人申請者には極めて難解な文書の解釈や、事実上正解の存在しない問題を課すことが珍しくありませんでした。同じ「読み書きテスト」でありながら、受験者の人種によって難易度がまったく異なる不平等な運用が横行していたのです。
祖父条項などの補完的制度
さらに南部諸州は、祖父条項(grandfather clause)、人頭税(ポール・タックス)、白人予備選挙といった制度を組み合わせました。祖父条項は「祖先が南北戦争以前に投票権を持っていた者」をテスト免除とするもので、事実上白人だけが恩恵を受ける仕組みでした。これらの制度が重なり合うことで、十分な教育機会から排除されていた多くの黒人有権者が、事実上投票から締め出されました。
なぜ長年にわたり機能し続けたのか
第一に、制度が「合法的な外見」をまとっていた点です。人種を明示的に排除するのではなく「能力」を要件とすることで、表向きは公平な規則として設計されていました。第二に、暴力や経済的報復への恐れが背景にあり、不合格とされても異議を唱える者がほとんどいませんでした。第三に、連邦政府の介入が長らく限定的だったため、州レベルでの差別が放置され続けました。こうした要因が重なり、読み書きテストは数十年にわたり黒人の政治参加を著しく抑制したのです。
廃止への道のり
1950年代から60年代の公民権運動は、この不公正を全国に訴えかけました。1964年には憲法修正第24条が連邦選挙における人頭税を禁止し、1965年のセルマからの平和的行進は世論を大きく動かします。こうした流れの中で成立した投票権法(1965年)は、差別的な選挙登録慣行が存在する地域での読み書きテストを停止させました。翌1966年、連邦最高裁判所はサウスカロライナ州対カッツェンバック事件で同法の合憲性を認め、ハーパー対バージニア州選挙管理委員会事件では憲法修正第14条の平等保護条項に基づき、州選挙における人頭税を違憲と判断しました。これにより、読み書きテストをはじめとする差別的な投票制限は、憲法および連邦法の観点から正当化され得ないものとされたのです。
まとめ
読み書きテストは、「中立な能力試験」という外見を借りながら、恣意的な運用と補完的制度によって、長年にわたりアフリカ系アメリカ人の投票を妨げてきました。しかし公民権運動と、連邦議会の立法および最高裁判所の司法判断によって、1960年代半ばにはその正当性が否定され、制度として終焉を迎えました。この歴史は、一見公平に見えるルールがどのように差別の道具になり得るかを示す、今なお重要な教訓といえるでしょう。