第一次世界大戦(1914年〜1918年)が終結した直後のアメリカ合衆国では、1919年を中心に大規模な労働争議が相次ぎました。しかし、歴史的に記録されているのは全国規模のゼネラルストライキではなく、特定の産業や都市で発生した一連のストライキです。
1919年の主要なストライキ
大鉄鋼ストライキ(Great Steel Strike)
最も有名な例は、1919年9月に始まった「大鉄鋼ストライキ」です。ペンシルベニア州やインディアナ州などの製鉄所で働く約35万人の労働者が参加し、賃上げ、8時間労働制の導入、労働組合の承認を求めました。しかし、経営側の強硬な姿勢や政府・報道機関の反労働的な世論にも阻まれ、翌1920年1月にストライキは解消されました。
シアトル・ゼネラルストライキ
同年2月には、ワシントン州シアトルで約6万5千人の労働者が参加する都市全体のゼネラルストライキが実施されました。これは造船業の賃金問題を発端とするもので、米国史上初の本格的なゼネラルストライキとして知られています。ただし、これは全国的な動きではなく、約5日間で終息しました。
ボストン警察ストライキ
1919年9月には、ボストンの警察官が職員団体の結成をめぐってストライキに突入し、市内に混乱が発生しました。この事件は公共の安全への不安を引き起こし、労働運動に対する世論の硬化を招く一因となりました。
ストライキが多発した背景
戦後のアメリカで労働争議が急増した理由として、以下の要因が挙げられます。
- 激しいインフレーション: 戦時中から戦後にかけて物価が急騰し、実質賃金が大幅に目減りしました。
- 劣悪な労働条件: 鉄鋼業などでは12時間労働が常態化し、週休もほとんどありませんでした。
- 組合承認の拒否: 経営側が労働組合との団体交渉を拒んだため、労働者の不満が蓄積していました。
- 復員による混乱: 帰還兵が労働市場に大量に流入し、雇用や賃金をめぐる緊張が高まりました。
「全国ゼネラルストライキ」は本当に起きたのか?
「第一次世界大戦後にアメリカ全土でゼネラルストライキが行われた」という記述を目にすることがありますが、そのような全国規模のゼネストが歴史的に記録されているわけではありません。実際には、上述のような産業別・地域別の大規模ストライキが短期間に集中して発生したのが実態です。
まとめ
第一次世界大戦後のアメリカにおけるストライキは、戦後インフレ、劣悪な労働条件、組合承認をめぐる対立といった要因が重なって発生しました。1919年の大鉄鋼ストライキをはじめとする一連の争議は、その後のアメリカ労働運動の歴史における重要な転換点となりました。