アメリカ独立戦争におけるイギリスの南部侵攻
1778年以降、イギリス軍は戦略の重心を北部から南部へと移し、いわゆる「南部戦略」を本格的に展開しました。ジョージアのサバンナやサウスカロライナのチャールストンを相次いで占領するなど、一時は優位に立ったものの、最終的にこの作戦は失敗に終わります。では、なぜイギリスは南部への侵攻を選んだのでしょうか。その背景には、主に3つの目的がありました。
南部侵攻の3つの目的
1. 植民地を分断するため
イギリスは、南部を攻撃することで13植民地を南北に分断し、互いに支援し合うことを妨げようと考えました。また、南部には王党派(ロイヤリスト)が比較的多いと見込まれており、彼らの協力を取り付けて、反乱勢力を内部から弱体化させる狙いもありました。
2. 重要な資源を確保するため
南部はタバコ、米、藍といった換金作物の主要産地でした。これらの経済資源を掌握できれば、戦争を継続するための財源や物資を安定的に確保できると、イギリスは計算していたのです。
3. ミシシッピ川の支配権を握るため
ミシシッピ川は当時の重要な交易路・補給路でした。ここを押さえれば、アメリカ側が川を使って物資や兵員を輸送することを阻止できると考えられました。
侵攻の結果と歴史への影響
しかし、南部侵攻は最終的に失敗します。キングスマウンテンの戦い(1780年)、カウペンスの戦い(1781年)、ギルフォード・コートハウスの戦い(1781年)などでアメリカ軍が重要な勝利を重ね、イギリス軍は次第に追い詰められていきました。そして1781年10月、ヨークタウン包囲戦においてコーンウォリス将軍率いるイギリス軍が降伏し、戦争は事実上の決着を迎えます。
南部侵攻そのものは頓挫したものの、この戦略は独立戦争の帰趨を大きく左右しました。戦争の最終局面を南部へと移すことになり、ヨークタウンでの敗北はイギリス国内の厭戦気分を決定的なものとし、1783年のパリ条約によるアメリカ独立の承認へとつながっていったのです。