南アメリカの歴史

ロアノーク入植者失踪の謎――歴史学者が提唱する3つの理論

1587年、北米大陸におけるイングランド最初の恒久植民地として建設されたロアノーク植民地。しかし、補給物資を持って帰還した総督ジョン・ホワイトが再び植民地を訪れた1590年、そこには入植者の姿は一切なく、木に刻まれた「CROATOAN(クロトアン)」という文字だけが残されていました。これが「失われた植民地」として知られる、アメリカ史上最大の謎の一つです。

理論1:内陸へ移動した

一部の歴史家は、ロアノークの入植者が単純に海岸から離れ、内陸へと移動した可能性があると考えています。この理論の根拠は、植民地跡から争いや虐殺の痕跡が一切発見されていない点、そして入植者が現地のネイティブ・アメリカンの部族と比較的良好な関係を築いていたという事実にあります。彼らが先住民の村に同化し、新しい生活を築いたというシナリオも否定できません。

理論2:先住民によって殺害された

もう一つの有力な理論は、入植者がネイティブ・アメリカンによって殺害されたというものです。当時、入植者と先住民の間には緊張関係があり、また先住民にはイングランド人の入植地を攻撃した前例があったことから、この説には一定の説得力があります。ただし、遺体や戦闘の痕跡が発見されていないため、確定的な証拠には欠けています。

理論3:クロトアン島へ航海した

さらに多くの歴史家が支持するのが、入植者がクロトアン島へ船で渡ったという理論です。クロトアン島はロアノーク島の南約50マイル(約80キロメートル)に位置しています。この説の根拠は、ロアノーク島の木に「Croatoan」という文字が刻まれていた点、そして入植者が危機に陥った場合にはクロトアン島へ移動する計画をあらかじめ立てていたという事実にあります。ホワイトは嵐のためクロトアン島へ向かうことができず、捜索は実現しませんでした。

まとめ

500年以上経った今でも、ロアノーク入植者の運命は謎のままです。考古学的な発掘調査やDNA鑑定などの研究が続けられていますが、決定的な答えは見つかっていません。内陸移動説、先住民襲撃説、クロトアン島移住説――いずれの理論にも根拠がありますが、真実は依然として歴史の彼方に眠っています。