第二次世界大戦中およびその後、ソビエト連邦(ソ連)とアメリカ合衆国(米国)の間の緊張関係は、時期によって緩和と悪化を繰り返しました。以下では、両超大国の関係を左右した主要な出来事を年表形式でご紹介します。
大戦中の協力と疑心暗鬼
1941年:緊張の緩和
ナチス・ドイツという共通の敵に対抗するため、ソ連と米国が同盟を結成しました。これが「グランド・アライアンス(大同盟)」の基礎となります。
1942年:緊張の再燃
スターリングラードの戦いでソ連軍がドイツ軍を破り、戦局は連合国側に傾き始めます。しかし一方で、ソ連は西側連合国の意図を疑い、十分な支援を受けていないと感じていました。
1944年:緊張の緩和
連合国がノルマンディー上陸作戦の計画で合意し、西ヨーロッパにおけるドイツ撃破への強い意志を示しました。
1945年:さらなる緩和
1945年5月、ナチス・ドイツが降伏し、ヨーロッパの戦争が終結。戦後の世界には、ソ連と米国という二つの大国だけが残ることになりました。
冷戦の始まり
1946年:緊張の高まり
ソ連が東欧に共産主義政権を樹立し、東アジアへも影響力の拡大を進めると、米国は「マーシャル・プラン」によって西欧諸国へ経済援助を行い、経済再建と共産主義の拡大阻止を図りました。
1948年:急激な悪化
ソ連が西ベルリンを封鎖すると、米国は「ベルリン空輸」によって空路から物資を供給して対抗します。ここに冷戦が本格的に始まりました。
1950年:朝鮮戦争
朝鮮戦争が勃発し、米国とその同盟国がソ連や中国の支援を受けた勢力と対峙しました。1953年に休戦で膠着状態に終わったものの、超大国間の緊張は高いまま残りました。
緊張と緩和の繰り返し
1961年:一時的な緩和
ウィーンで行われたケネディ米大統領とフルシチョフ・ソ連首相の首脳会談により緊張が和らぎ、両超大国は部分的核実験禁止で合意するなど、雪解けの兆しが見えました。
1962年:キューバ危機
キューバミサイル危機により、世界は核戦争の瀬戸際に立たされます。最終的には、ソ連がキューバからミサイルを撤去することと引き換えに、米国がキューバへ侵攻しないことを約束し、危機は回避されました。
1975年:ヘルシンキ宣言
ヘルシンキ全欧安全保障協力会議(CSCE)の最終文書が調印され、ヨーロッパの安全保障と協力の原則が再確認されました。超大国は互いの領土保全を尊重し、相手に武力を用いないことで合意します。
1989年〜1991年:冷戦の終結
ベルリンの壁が崩壊し、東欧の共産主義政権が次々と倒れました。そして1991年にはソ連自体が解体され、半世紀近くに及んだ冷戦の時代にようやく幕が下ろされたのです。