南アメリカの歴史

バスコ・ヌニェス・デ・バルボアが得た報酬と富とは?太平洋発見者が手にした栄誉の全貌

バスコ・ヌニェス・デ・バルボアは、1513年にヨーロッパ人として初めて太平洋へ達した探検家として知られています。この偉業により、彼はスペイン王室から数々の報酬を受け取りました。ここでは、バルボアが実際に得た富と栄誉を詳しく見ていきます。

金銀という莫大な報酬

バルボアは太平洋の発見者として称えられ、スペイン人征服者(コンキスタドール)によるアメリカ大陸探検の道を開き、後のスペイン帝国の建設につながる足がかりを築きました。また、パナマのダリエン地方を征服し、太平洋岸に最初の恒久的なヨーロッパ人入植地を設立した功績も高く評価されました。これらの成果に対して、バルボアは大量の金銀、そしてダリエン地方の総督職という報酬を手に入れました。

授けられた複数の称号

さらにバルボアは、「南海(太平洋)のアデランタード(先遣総督)」「南海沿岸の大将軍(カピタン・ヘネラル)」「ダリエン総督兼大将軍」といった重要な称号を次々と授けられました。これらは当時のスペイン植民地社会において、最高峰の地位を示すものであり、王室的な信頼の証でした。

広大な土地の下賜

アメリカ大陸においても、バルボアには広大な土地が与えられました。具体的には、真珠の産地として知られたクバグア島や、ウラバ湾周辺の領地などが含まれており、経済的な基盤として大きな価値を持っていました。

名誉の証となる紋章

名誉の象徴として、太平洋を航行する船が描かれた紋章も授かりました。これは彼の最大の功績である太平洋到達を記念したデザインであり、当時のスペイン社会では格別の栄誉とされていました。

栄光の裏にある悲劇的な最期

しかしながら、富と栄誉に恵まれたバルボアの人生は長く続きませんでした。1519年、上官ペドラリアス・ダビラとの対立により反逆罪の疑いをかけられ、処刑されてしまいます。太平洋を「発見」した男の最期は、栄光と陰謀が入り混じるコンキスタドール時代の縮図といえるでしょう。