不在期間はおよそ3年間
ロアノーク植民地の総督を務めたジョン・ホワイトは、合計3年間にわたってロアノーク島を離れていました。この不在こそが、北米植民地史上最大の謎の一つとされる「失われた植民地」事件の発端となりました。
物資調達のための帰国と、英西戦争による足止め
1587年、ホワイトは植民地の維持に必要な物資や追加の人員を確保するため、一時的にイングランドへ帰国しました。しかし当時、イングランドとスペインは「英西戦争」の真っ只中にあり、特にスペイン無敵艦隊(アルマダ)の来襲が懸念された1588年頃には、ほぼすべての船舶が国防のために動員されていました。
そのため、ホワイトは何度も新大陸への帰還を試みるものの、船の手配や出航許可を得られず、計画は次々と頓挫しました。ようやくロアノーク島へ戻ることが叶ったのは、1590年のことでした。
帰還後に待ち受けていた衝撃的な光景
1590年8月、3年ぶりにロアノーク島へ到着したホワイトを待っていたのは、もぬけの殻となった植民地でした。入植者たちの姿はどこにもなく、住居は解体された痕跡があり、柱には「CROATOAN(クロトーン)」という不思議な文字が刻まれていました。
ホワイト自身の孫娘ヴァージニア・デア——新大陸で生まれた最初のイングランド人の子ども——を含む100名以上の入植者が消息を絶ったまま二度と発見されず、彼らの行方は今日まで完全には解明されていません。