アメリカ植民地時代、中部植民地(ニューヨーク、ニュージャージー、ペンシルベニア、デラウェア)の農場は、南部植民地の農場と比べて小規模である傾向がありました。中部植民地にも大農園は存在しましたが、その数は南部に比べてはるかに少なく、大多数の農場は家族単位で運営される小規模なものでした。
中部植民地の農業の特徴
中部植民地は肥沃な土地と穏やかな気候に恵まれ、「パン食料庫植民地(Breadbasket Colonies)」とも呼ばれていました。小麦、ライ麦、大麦などの穀物栽培が中心で、余剰分はフィラデルフィアやニューヨークといった港町から輸出されました。農場の多くは家族の労働だけで賄える規模であり、繁忙期には年季奉公人を雇うこともありましたが、南部のような奴隷労働への依存度は低かったのが特徴です。
南部植民地との違い
一方、南部植民地(バージニア、メリーランド、サウスカロライナなど)では、タバコ、米、藍などの換金作物を大量に生産する大規模プランテーションが発達しました。これらの農園は数百エーカーに及ぶことも珍しくなく、多数の奴隷労働者によって運営されていました。
農場規模の差を生んだ要因
このような違いが生じた背景には、主に次の要因があります。
- 地理と気候: 南部は温暖で生育期間が長く、換金作物の栽培に適していました。中部植民地の気候も穏やかでしたが、南部ほど長い栽培期間は得られませんでした。
- 社会・経済的条件: 中部植民地にはドイツ人やスコットランド系アイルランド人など多様な移民が定住し、独立自営農民の層が厚かったのに対し、南部では富裕な地主階級が広大な土地を所有する傾向がありました。
- 生産物の性質: タバコや米などの換金作物は大規模な労働力を必要としたため、プランテーション制と奴隷労働の発展につながりました。
まとめ
つまり、中部植民地の農場は南部植民地のそれと同じではなく、規模も経営形態も大きく異なっていました。中部植民地は家族経営による小規模農場が主体であったのに対し、南部植民地は奴隷労働に依存する大規模プランテーションが中心でした。この構造的な違いは、後のアメリカにおける南北の社会・経済格差を形作る一因となったのです。