バージニア州の奴隷の大半はアフリカ出身
バージニア州の奴隷の大多数は、アフリカから強制的に連れてこられた人々でした。1619年から1807年にかけて、推定1,250万人のアフリカ人が奴隷化され、南北アメリカ大陸へ移送されたとされています。そのうち約150万人が、バージニア州を含む北米のイギリス植民地に送られました。
1619年、最初のアフリカ人奴隷の到来
バージニアに最初のアフリカ人奴隷が到着したのは1619年のことです。オランダ船が20人ほどのアフリカ人を植民地に運び、彼らは当初、年季奉公人としてイギリス人入植者に売られました。しかし、まもなく彼らは植民地内の他の奴隷と同じ過酷な条件のもとに置かれるようになります。バージニアで労働力への需要が高まるにつれ、アフリカから連れてこられる奴隷の数も増加していきました。
奴隷人口の拡大
17世紀半ばまでに、アフリカ系奴隷の数は急速に増加し、地域によっては白人入植者の数に匹敵する、あるいはそれを上回る規模に達しました。奴隷人口は植民地時代を通じて増え続け、1800年までにバージニア州のアフリカ系奴隷は約30万人に達しました。
タバコ農園での過酷な労働
バージニアのアフリカ系奴隷の多くは農業に従事し、タバコ農園やその他の農場で働かされました。家庭内使用人や熟練した職業に就く者もいましたが、彼らは厳しい扱いや虐待を受け、法律上いかなる権利も保障されていませんでした。
バージニア生まれの奴隷たち
アフリカから直接連れてこられた奴隷だけでなく、バージニアで生まれた奴隷も数多く存在しました。彼らは、植民地に連れてこられたアフリカ人奴隷の子供たちです。奴隷の子供は自動的に奴隷とみなされ、幼いうちに新しい所有者へ売られることも珍しくありませんでした。
奴隷貿易が残した深い影響
奴隷貿易はバージニア経済の重要な柱であり、植民地におけるアフリカ系奴隷の生活に計り知れない影響を与えました。さらに、奴隷貿易はバージニアにおける人種的カースト制度(人種に基づく身分差別の仕組み)の形成にもつながり、その影響は奴隷制廃止後も長く残り続けました。