南アメリカの歴史

ナチス強制収容所はいつ解放されたのか?連合軍による解放日一覧

ナチス強制収容所はいつ解放されたのか?

第二次世界大戦の終結が迫る1945年、進撃を続ける連合国軍は、ナチス・ドイツがヨーロッパ各地に設けていた強制収容所を次々と解放していきました。ソビエト赤軍は東側から、アメリカ・イギリス軍は西側からドイツ領内へと進み、飢えと病気、過酷な労働に苦しむ数多くの収容者たちを救い出しました。

以下の表は、主要な強制収容所について、解放日・所在地・解放にあたった部隊をまとめたものです。

主要な強制収容所の解放一覧

収容所名解放日所在地解放した部隊
アウシュヴィッツ=ビルケナウ1945年1月27日(第一・第二収容所)
1945年5月8日(第三収容所モノヴィッツ)
ポーランド南部ソ連第1ウクライナ戦線・第60軍
ブーヘンヴァルト1945年4月11日ドイツ中部米第4機甲師団
ミッテルバウ=ドラ1945年4月11日ドイツ中部米第1軍・仏第2機甲師団
ベルゲン・ベルゼン1945年4月15日ドイツ北部英第11機甲師団
ザクセンハウゼン1945年4月22日ドイツ北部ソ連軍
ノイエンガンメ1945年4月27日ドイツ北部イギリス軍
ダッハウ1945年4月29日ドイツ南部米第103歩兵師団・第45歩兵師団
ラーフェンスブリュック1945年4月30日ドイツ北部ソ連軍
マウトハウゼン=グーゼン1945年5月5日オーストリア米第3軍
テレージン1945年5月8日チェコスロバキアソ連軍およびチェコの抵抗勢力

アウシュヴィッツ=ビルケナウ:ホロコーストの象徴

ポーランド南部に位置するアウシュヴィッツ=ビルケナウは、ナチスが建設した最大規模の絶滅収容所であり、ユダヤ人をはじめ約110万人が犠牲になったとされています。1945年1月27日、ソ連軍が到達した際には約7,000人の衰弱した収容者が残されていました。この解放の日を記念して、現在では1月27日が国連により「ホロコーストを記憶する国際デー」に定められています。

ダッハウ:ナチス最初期の強制収容所

ミュンヘン近郊にあったダッハウ収容所は、1933年のナチス政権成立直後に開設された、政権下で最も古い強制収容所の一つです。12年以上にわたり政治犯やユダヤ人などが収容され、1945年4月29日にアメリカ軍によって解放されました。

ベルゲン・ベルゼン:解放後も悲劇は続いた

ドイツ北部のベルゲン・ベルゼンは、終戦間近に他の収容所から移送されてきた人々で急激に収容者が増加し、チフスなどの伝染病が蔓延していました。1945年4月15日にイギリス軍が解放しましたが、栄養失調と病気が深刻だったため、解放後も数週間にわたり多くの犠牲者が発生しました。『アンネの日記』で知られるアンネ・フランクも、この地で命を落としています。

おわりに

これらの収容所の解放は、ヨーロッパにおけるナチスの支配の終焉とホロコーストの実態が世界に明らかになる決定的な瞬間となりました。解放部隊の兵士たちが目にした惨状は、写真や証言として記録され、後世への教訓として受け継がれています。今日でも各国の収容所跡地は記念館として整備され、歴史の記憶を次世代へ伝える役割を担っています。