天文学者・物理学者として知られるガリレオ・ガリレイ(Galileo Galilei)は、1564年2月15日にイタリアのピサ(Pisa)で生まれました。彼の人生は、イタリア各地を舞台とした移住と転居の歴史でもあります。ここでは、ガリレオが生涯で暮らした主な土地をたどってみましょう。
生誕の地:ピサ
ガリレオはトスカーナ地方の都市ピサで生まれました。父ヴィンチェンツォは音楽家でした。1581年、17歳のガリレオは両親の勧めによりピサ大学に入学し、医学を学ぶことになります。しかし、やがて数学と自然科学への強い関心が勝り、学位を取らないまま大学を去りました。
少年期と晩年の拠点:フィレンツェ
ガリレオが幼い頃、一家はフィレンツェ(Florence)へ移り住みました。以後、フィレンツェは彼にとって人生の拠点となり続けます。1592年からはパドヴァ大学で数学教授として約18年間教鞭をとり、望遠鏡による天体観測で木星の衛星などを発見するなど、研究者として最も実り多い時期を過ごしました。
ローマとの深い関わり
ローマ(Rome)は、ガリレオが何度も訪れた重要な場所です。1611年にはローマの科学アカデミー「リンチェイ・アカデミー」の会員となり、自らの発見を教皇や枢機卿たちに披露しました。しかし、地動説を支持したことが原因で1633年に異端審問にかけられ、ローマで裁判を受けたこともありました。
最期の地:アルチェトリ
裁判の後、ガリレオはフィレンツェ近郊の丘の町アルチェトリ(Arcetri)にある自宅で、事実上の軟禁状態のもとで余生を送りました。それでも研究を続け、晩年の傑作『新科学対話』を執筆しています。そして1642年1月8日、77歳でこの世を去りました。
まとめ
ガリレオ・ガリレイは、ピサで生まれ、フィレンツェ、パドヴァ、ローマなどで活動し、晩年はアルチェトリで亡くなったのです。イタリア中を舞台にした彼の足跡は、近代科学の夜明けそのものといえるでしょう。