南アメリカの歴史

マサチューセッツ湾植民地に教会と国家の分離はあったのか?

マサチューセッツ湾植民地における教会と国家の関係

結論から言えば、マサチューセッツ湾植民地には教会と国家の分離は存在しませんでした。同植民地はピューリタン(清教徒)による神政政治(theocracy)として建設されたため、政治は宗教の原則に基づいて運営されていました。

神政政治としての性格

1630年に設立されたマサチューセッツ湾植民地では、聖書を最高の規範とみなす考え方が政治の根幹を成していました。そのため、公職に就くことができたのはピューリタン教会の正式な会員のみに限られ、教会への帰属が市民としての権利を左右する社会でした。指導者たちは「丘の上の町(City upon a Hill)」という理想を掲げ、宗教的使命に基づいた共同体の建設を目指しました。

他宗派への対応

とはいえ、他の宗教的信念に対して完全に不寛容だったわけではありません。一部のプロテスタント諸派は植民地内での存在を認められていました。ただしこの寛容さは限定的なものであり、ロジャー・ウィリアムズやアン・ハッチンソンのように支配的な宗教観に異議を唱えた人々が追放されるなど、厳しい統制が敷かれていたことも事実です。

まとめ

マサチューセッツ湾植民地は、宗教と政治が密接に結びついた神政的な体制であり、近代的な意味での信教の自由や政教分離とは程遠いものでした。アメリカにおける政教分離の原則が明文化されるのは、独立後の憲法および権利章典の制定以降のことになります。