「強制収容所の大部分が西部にあった」という説明は、正確とは言えません。第二次世界大戦中に日系アメリカ人が収容されたキャンプの多くは、西海岸そのものではなく、むしろ米国の内陸部に設置されていました。
強制収容所の実際の立地
戦時転住局(WRA)が運営した主な10カ所の強制収容所は、次のような場所にありました。
- マンザナー(カリフォルニア州)
- ポストン、ヒラ・リバー(アリゾナ州)
- トパーズ(ユタ州)
- ミニドカ(アイダホ州)
- ハートマウンテン(ワイオミング州)
- グラナダ(コロラド州)
- ジェローム、ローワー(アーカンソー州)
なぜ内陸部だったのか
政府がこれらの場所を選んだ理由には、いくつかの背景があります。
1. 西海岸からの隔離
当時、西海岸一帯は「軍事区域」として指定され、日系人の居住が禁止されていました。収容所を内陸に置くことで、収容者を海岸から遠ざける意図がありました。
2. 辺境で人里離れた土地
砂漠や湿地、平原など、もともと人口が少ない土地が選ばれました。これは脱走や外部との接触を防ぎやすくするためでした。
3. 安価な未利用地の確保
連邦政府が所有する広大な公有地が多かったことも、建設コストを抑える上で大きな要因となりました。
まとめ
つまり、「大部分が西部にあった」というより、「西海岸を除いた内陸の辺境地帯に点在していた」と表現するのが正確です。この事実は、当時の日系人コミュニティが主に西海岸に集中していたことと対照的であり、収容政策の性質を理解する上で重要なポイントです。